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2021-09-07 21:54
(連載1)超大国の狭間で「緩衝国家」アフガンはどうなるか
大井 幸子
国際金融アナリスト
米軍がアフガニスタンから撤退を完了し、その惨めな光景は大きく報じられました。軍用ヘリコプターが米国大使館から飛び立つ様子は、まるでミュージカル「ミス・サイゴン」の一場面のようです。私は2001年9月11日にマンハッタンで「世界同時多発テロ」を目の当たりにしました。そして、当時のブッシュ(子)政権がアフガン侵攻を始めた時の様子を、拙著『ウォール街のマネーエリートたち』(日本経済新聞社2004年)で描きました。そもそも、なぜ米軍によるアフガン侵攻が起きたのか。9/11テロの主犯アルカイダの拠点がアフガニスタンにあり、タリバンが首謀者ウサマ・ビン・ラディンを米国に引き渡さなかったためです。
あれから20年近くが経ち、米中対立やパンデミックが、世界を大きく変えました。しかし、アフガニスタンの地政学的な意味合いは依然として変わらず21世紀にも米中露といった列強の「緩衝国家」として位置づけられる運命にあります。米国アフガニスタン撤退は金融市場には直接大きなインパクトはないものの、今後の中央アジアの覇権をめぐる「グレート・ゲーム」に関わる、地政学上の一大事です。21世紀の「グレート・ゲーム」では、中共の「一帯一路」という国家戦略に、アフガンに加えてパキスタン、イラン、インド、ウズベキスタン、タジキスタンが直接関わることになります。以下、ザックリと説明していきます。
19世紀、大英帝国はアフガニスタンと3度に渡る戦争を経て、この多民族国家の支配が容易でないと考え、南下政策をとる帝政ロシアに対してアフガンを「緩衝国家」として利用する戦略をとりました。ユーラシア大陸のハートランドに位置するロシアと、植民地インドのはざまに緩衝地帯を設けたのです。そして、大英帝国対ロシアの「グレート・ゲーム」は20世紀に入り、第2次大戦後に米ソ冷戦に引き継がれます。インドは社会主義国として独立し、ソ連の計画経済を踏襲します。米国はインドを警戒し、パキスタンに接近します。1980年代にソ連軍はアフガンに侵攻し、イスラムゲリラ(ムジャヒディン: アラブ諸国からジハード聖戦を戦うために集まった志願兵)が激しく抵抗しました。米国は密かに、パキスタンに逃れたアフガンの民族の一つ、パシュトゥーン人を支援しました。アフガンはまるで民族のモザイクです。多数派民族はパシュトゥーン人(スンニ派)で、東部・北部のペルシャ系のタジクは2番目の民族で全体の20-30%を占め、他にはチュルク系のウズベク、トルクメン、クルグズ、アイマク、ハザーラ人(シーア派でモンゴル系)がいます。さらに、パシュートゥーン人は二つの部族連合体(3つの王朝を輩出してきたドッラッニーとギルザイ)に分かれます。1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、米ソ冷戦が終わりを迎えると、国内はムジャヒディン勢力間の内戦が激しくなります。多民族国家のアフガンはソ連に代わって、周辺国からの干渉も受けます。パキスタン、イラン、インド、インド、ウズベキスタン、タジキスタンがアフガニスタンの異なる民族を支援するので、国内の分裂状態が続きました。そこに登場したのが「タリバン」です。
一方、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻。ブッシュ(父)政権は1991年1月17日にイラク空爆を開始しました。湾岸戦争はイスラム社会に大きな亀裂を生み、米国への憎しみを深めました。1990年代イスラム原理主義の勢力が拡散される中、同時多発テロ後の2003年にブッシュ(子)大統領が再びイラクに侵攻。フセイン大統領のとどめを刺した後、米国はイラクを占領下に置きました。が、アフガンと同様、占領政策が米の国益になるはずがなく、反米イスラム過激派を産み出す結果となりました。(つづく)
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