もっと言えば、そもそも軍事情報について今の防衛省は努力をしているものの、米国の情報網に過度に依存していると言わざるを得ない。現に、テポドンが日本の頭上を超えていっても、日本の独自の情報ではそれを捉えることができないのである。独立国家としては、こうした異例の防衛体制、というよりも、防衛体制の欠如が存在するからこそ、――ブレジンスキー博士は、日本は軍事的には「保護国家(protectorate)」であると明言している――いつも「有事の際は、本当にアメリカは助けてくれるのか」といった類の女々しい危惧の声があがってくるのではないか。換言すれば、どうも安全保障コミュニティーの主流派の議論は、ブレジンスキー博士の”The Grand Chess Board”の分類に従えば、「グローバル・パワー」としての日本を前提としていて、「リージョナル・パワー」としての日本を度外視しているように思われる。