もっとも、私が書くものでは「Religion」の語はできるだけ使わないようにしている。「Religion」といえば、キリスト教を指す語のように感じられるからだ。そして古い西欧社会科学文献にはキリスト教を意識したものが多いといえる。では、日本の社会科学の場合はどうか。日本で最初の近代経済学者とみなされつつある天野為之(1861-1938)の場合、彼の経済学はマクロ経済学に近い内容で、経済思想としては「報徳思想」を採用していた。私は「報徳思想」の英語での表記について、「Hotoku thought」ではなく、「The teachings of Sontoku Ninomiya」を使い始めていた。昨年、天野自身が「報徳教」との表現を使っていたのを見つけ、英語表記に問題ないことが確認できた次第である。日本政治思想史の専門家・渡辺浩氏が2014年9月の都内での講演で、「日本の宗教は『religion』というより、『teachings of a sect(宗派の教え)』である」と発言されたのを聴いて、同感した次第である。尊徳文献からは神道、仏教、儒教が滲み出ているのである。
『開国五十年史』(1908)に、天野と同世代の新渡戸稲造が『泰西思想の影響』と題する一文を寄稿している。新渡戸は「日本国民の欧化、というと語弊があり、むしろ欧力の和化」を論点とするとし、それは「二つの文明系統である西洋文明と東洋文明の代表者の結婚というべきである」とした。『開国五十年史』には英語版があり、他の寄稿文の英語版は第三者による翻訳とみられるが、新渡戸は自分で英語版を作成したと思われる。「欧力の和化」は「Japanization of European influence」と訳されているので、「ヨーロッパの影響力の日本化」と表現し直してもよい。日本語の影響力がけっこう大きいことを伝えたかったのだと思う。(つづく)