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2015-06-19 00:00
(連載1)中国人は西欧思想を日本から学んだのか
池尾 愛子
早稲田大学教授
「多くの中国人が西欧思想を日本から学んだ」と語る人たちがいるが、それは中国側の認識とは異なる可能性があるのではないか。開国当初、日本にはオランダ語、中国語、朝鮮語はともかく、英語を話せる人がほとんどいなかったので、貿易を開始するにあたって英語を話せる中国人らの仲介を必要とする状態であった。また、西欧思想は遡るほどにキリスト教の影響が強い。しかしながら、西洋の日本研究者たちは、キリスト教文献の日本語訳には、仏教や神道の影響が滲み出ているという。 キリスト教聖書の和訳は仏教経典みたいで、古い和訳ほど仏教に近いという人たちまでいた。そこで2013年に別件でハーバード大学を訪れた際、エンチン研究所にある初期の和訳聖書の幾つかを眺めてみたのだが、私には仏教より神道の文献の方に近いと感じられた。そして 同研究所の「宗教」コーナーに案内していただくと、はたして仏教文献はたくさん並んでいたが、神道文献はなさそうにみえた。
もっとも、私が書くものでは「Religion」の語はできるだけ使わないようにしている。「Religion」といえば、キリスト教を指す語のように感じられるからだ。そして古い西欧社会科学文献にはキリスト教を意識したものが多いといえる。では、日本の社会科学の場合はどうか。日本で最初の近代経済学者とみなされつつある天野為之(1861-1938)の場合、彼の経済学はマクロ経済学に近い内容で、経済思想としては「報徳思想」を採用していた。私は「報徳思想」の英語での表記について、「Hotoku thought」ではなく、「The teachings of Sontoku Ninomiya」を使い始めていた。昨年、天野自身が「報徳教」との表現を使っていたのを見つけ、英語表記に問題ないことが確認できた次第である。日本政治思想史の専門家・渡辺浩氏が2014年9月の都内での講演で、「日本の宗教は『religion』というより、『teachings of a sect(宗派の教え)』である」と発言されたのを聴いて、同感した次第である。尊徳文献からは神道、仏教、儒教が滲み出ているのである。
天野為之の『経済学綱要』(1902)は『理財学綱要』(1902)の題で中国語訳されている。日本語原典は外国語に翻訳されることを念頭において平易な日本語で書かれていた。清国から日本への留学者や留学希望者のために執筆されたようだ。この頃、幾つかの出版社から、日本語の書籍の中国語版がある程度まとまって出されていた。しかし、著作権を保護するベルヌ条約を批准していなかった清国では、出版時は売れたものの、2-3年ほどすると海賊版が出回り、日本語から翻訳された中文書籍が売れなくなったとされる(中文版『理財学綱要』は国会図書館の近代デジタルライブラリーに掲載されており、巻末に上海文明編訳印書局発行の日本人著者による図書の一覧がある)。
『開国五十年史』(1908)に、天野と同世代の新渡戸稲造が『泰西思想の影響』と題する一文を寄稿している。新渡戸は「日本国民の欧化、というと語弊があり、むしろ欧力の和化」を論点とするとし、それは「二つの文明系統である西洋文明と東洋文明の代表者の結婚というべきである」とした。『開国五十年史』には英語版があり、他の寄稿文の英語版は第三者による翻訳とみられるが、新渡戸は自分で英語版を作成したと思われる。「欧力の和化」は「Japanization of European influence」と訳されているので、「ヨーロッパの影響力の日本化」と表現し直してもよい。日本語の影響力がけっこう大きいことを伝えたかったのだと思う。(つづく)
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