これら一連のプロセスは、なぜ急に進展したのでしょうか? その大きな要因として、ミャンマーの置かれた国際的な立場があげられます。リーマンショックを皮切りにした金融危機の影響で、ミャンマーでは2007年9月に燃料費高騰などに抗議するデモが発生しました。このとき、通常は政治問題に関与しない仏教僧までもが抗議デモに加わっていたことは、状況の悪化を物語るものでした。ともあれ、1988年以来最大規模のデモを武力で鎮圧したことで、軍事政権は欧米諸国のみならず、近隣の東南アジア諸国からも批判にさらされたのです。ミャンマーにとって、欧米諸国からの批判に対する防波堤としてある周辺国からの批判は、これまでにない圧力として働くことになりました。これに加えて、ミャンマーの体制転換においては、中国ファクターも無視することができません。西側先進国とほぼ断絶状態にあったミャンマーに進出し、資源や市場を確保していったのは、インドやタイ、そして中国でした。なかでも中国は、2010年の対ミャンマー輸出額が38億2800万ドル以上(IMF, Direction of Trade Statistics Yearbook)。その一方で、パイプラインを通じた天然ガスの輸入も進めています。