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2009-08-27 11:13
(連載)地方分権のあり方を考える(2)
水野 勝康
特定社会保険労務士
まず、自民党の主張する道州制導入について考える。問題は、どのような契機で道州制を導入しようとしているのか、と言うことである。国の権限を地方に委譲し、地域の実態に即した機動的な住民サービスができるようにするのであればよい。しかし、国が手に余ったものを地方に「投げ出す」ということになれば、委譲される権限も限定的なものになるであろうし、何よりも地方は国のマイナス面ばかりを引き受けるだけとなる。また、道州制を導入しても、国の中に「ミニ国家」が誕生し、強力な道州政府と弱小な基礎的自治体である市町村が対峙することになれば、事実上市町村は道州政府に従う存在となり、結局のところ団体自治の実現は不可能となる。
また、国が主導して現在の都道府県を無理矢理合併させるかたちで道州制を実現するとすれば、そもそも「自治」の中で道州制が成立したとはいえなくなるであろう。また、道州が「地方自治体」であるとすれば、成立の歴史的経緯や、住民の一体感などは当然考慮されるべきであり、単純な経済効率だけで区域を設定することは、共同体意識のない人工的自治体をつくることになる。
そもそもこのような自治体を憲法上の「地方公共団体」と呼べるかどうかが、疑問として残る。少なくとも、最高裁判所は「共同体意識を持たず人工的に作られた東京都特別区は、憲法上の地方自治体とは認めない」という判断を示したことがあり、仮に道州が憲法上の地方自治体ではないことになれば、国による官選道州知事や、道州議会による間接的な道州知事の選出も許されるということになる。現状ですら、中央官庁出身の知事が圧倒的多数を占め、都道府県議会の多くが事実上のオール与党体制になっていることを考慮すると、住民により近い道州政府実現のためには、道州制導入を単純な知事の削減や地方議員の削減として捉えるべきではない。現在も知事や都道府県議会議員の選出にあたっては、住民の中から自発的に候補者が立てられていくというよりは、政党や圧力団体の意向が優先され、事実上選択肢のないなかで選挙を行わなければならないという状態が普通になっている。
我が国の政党に、党内民主制や党内手続きの明白性が要求されていない現状では、このようなかたちで選出される知事や議員に強力な権限を付与することは、危険とも言える。住民よりも、政党や圧力団体の意向を重視しなければならない議員や知事が、住民自治を行っていく主体たりえるとは思われないからだ。道州制導入が、単純な議員削減などに行き着けば、現在よりより広域の選挙区から議員が選出されることになる。そうなると、議員と地域住民の乖離がますます進むことになるであろう。そのような議員は、住民代表とは言い難い。
道州制導入関して、国は手続きを整備することまでに留めるべきで、国が主導して合併論議を進めるべきではない。国が強制的に都道府県を合併ざせて道州を作るのであれば、そもそも地方主体とは言い難いものになるであろう。あくまでも、道州制は地方からの要請によって進められるべきものである。当然、道州制を推進するならば、国政に携わる政治家だけでなく、地方政治家も自発的に自らの道州政府のあり方についてビジョンを示すべきであろう。(つづく)
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投稿履歴
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