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2025-04-14 10:11
(連載2)若年層は皇室について議論を
倉西 雅子
政治学者
しかも、今日の皇室の活動については必ずしも法律に根拠があるわけではなく、皇統の継続性についても歴史的な疑義もあります(例えば、明治維新に際しての断絶と交替・・・)。また、科学的にも‘血’の希薄化は避けられません。即ち、血統において国民との差もなくなり、否が応でも正当性が揺らぐ中にあって、自らを特別の存在として振る舞っている皇族の姿は、現代という時代にあって違和感があります。
そして、この時代錯誤に付き合わされている国民も、不幸言えば不幸なのです。実写版『白雪姫』が現代を過去に持ち込んだことで、逆に過去を現代に引きずり出し、現代の問題を炙り出す‘クロス現象’をもたらしたように、今日の王室も皇室は、現代人が過ぎ去った過去、あるいは、‘おとぎの国(人々が理想とする空想の世界)’の役割を演じるという、一種の劇場にならざるを得ないのでしょう(それは、時には国民をうんざりさせ、時には大真面目な演技が滑稽にもなってしまう・・・)。
こうした皇室に関する疑問は、戦前にあって現人神と信じられ、戦後にもカリスマ性を保ち続けた昭和天皇に対する崇敬心から代が替わっても無条件に皇室に崇敬心を抱き続けてきた人々、あるいは、今や‘皇室の藩屏’と化している新興宗教団体の人々からは、強い感情的な反発を受けることでしょう。しかしながら、時間の経過と共に国民の意識は変化するものです。北朝鮮風味のメディアの皇室報道が‘超自然的な存在’としての皇族を国民の意識にすり込み(もっとも、国民の側はなかなか洗脳されないのでは・・・)、同存在に基づく不平等感や不公平感が社会の停滞を招き、健全な知性の働きや発展を阻害する要因となるならば、皇室の存在は、今日の若者層にとりまして財政負担に加え、心理的な側面を含めて‘重し’ともなりましょう。
果たして、現在の若者層は、皇室の存在をどのように捉えているのでしょうか。憲法第1条を含む皇室については、‘大人達’こそ、‘菊のカーテン’という名のタブーをなくし、将来を見据えた自由闊達な議論に努めるべきなのではないでしょうか。この問題についても、政治家の人々は、若者の声を聞こうとはしません。そして、将来の日本国を背負う若者こそ、かつての若者達が‘天下国家’について論じたように、自らの国の将来について積極的に語るべきではないかと思うのです。(おわり)
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投稿履歴
(連載1)若年層は皇室について議論を
倉西 雅子 2025-04-13 10:04
(連載2)若年層は皇室について議論を
倉西 雅子 2025-04-14 10:11
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