同方針は、デジタル大臣の言動にも顕れています。例えば、河野前デジタル大臣は、デジタル庁からの勧告はあたかも‘命令’であるかのような説明をしていましたし、実業家の堀江貴文氏が空港での健康カードの使用についてSNSに苦情を投稿した際には、迅速に調査を命じたとも報じられていました。これらの事例は、社会改革の指導者としてのデジタル庁の傲慢とも言える意気込みを示しているのですが、各省庁の予算を見ますと、多方面に亘る‘デジタル予算’なるものが、急速に増額する傾向にあることを認めざるを得ないのです。そして、デジタル庁の設立過程を見ましても、アメリカの「政府効率化省」と類似する唐突感があります。同庁のホームページには設立に至る経緯に関する説明は記載されていないのですが、2020年9月に発足した管政権の下で設立に向けた動きが始まり、立法手続きを経て翌2021年9月には設置されています。同作業にあって「Government as a Startup」というロゴが使用されたところからしますと、当時の管義偉首相、あるいは、自公政権の発想とも思えず、デジタル庁の設置には、グローバルレベルでデジタル化を推進している海外勢力、すなわち、世界権力からの要請があったものと推測されるのです(全世界で災害が頻発している現状からしますと、「防災庁」の設置も外圧かもしれない・・・)。