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2007-10-05 13:42
「リリー・マルレーン」
岩國哲人
衆議院議員
私がこの曲をはじめて聞いたのは、ロンドンに赴任した1967年の秋の土曜日の朝のBBCラジオだった。「リリー・マルレーン」と言えば、マレーネ・ディートリッヒと名前が出てくるように、マレーネ・ディートリッヒが歌いだしてからこの曲は一層、有名になっていった。この曲はもとはといえば戦前のドイツ生まれの曲だったが、同じくドイツ生まれの美人女優ディートリッヒとの結びつきには第2次大戦がからんでいた。
第2次大戦の足音がきこえる頃、アメリカも既に戦時体制に入りつつあり、スターたちも進んで徴兵に応じていた。ジェームス・スチュアートやクラーク・ゲーブルは空軍に、ヘンリー・フォンダは海軍に、タイロン・パワーは海兵隊にと次々に応召し、前線へと赴く中に、ディートリッヒもまた祖国ドイツをナチの支配から解放するために、ハリウッドの全部の仕事を断って前線将兵の慰問に打ち込んだ。人気女優の慰問がどこでも歓迎されたのは言うまでもない。
ディートリッヒが訪れた北アフリカ前線では既に敵味方の分け隔てなく、「リリー・マルレーン」が歌われていた。初めて耳にしてすっかり気に入り、曲名が自分のファーストネームと同じという奇縁もあって、以後、どの前線でも彼女はこの曲を歌い、「リリー・マルレーン」は戦場の兵士の口から口へと歌い継がれていった。
連合国側の兵士の前で歌い続けたディートリッヒが、ついに祖国ドイツの兵士のために歌う日がやってきた。ある戦場の野戦病院の別棟に彼女を案内した軍医が、俘虜になったナチの傷病兵たちがいることを告げ、彼らを同じように見舞い、ドイツ語で声をかけてやってほしいと彼女に懇願したのだ。本当にディートリッヒなのかと半信半疑で尋ねるドイツ将兵たちに、彼女は心をこめて切々と歌った。アメリカに帰化しているディートリッヒが、祖国の若者を前に、その時だけは身も心も祖国の土を踏んでいる思いだっただろう。
「夜霧深くたちこめて あかりともる街角に
やさしくたたずむ 恋人の姿
いとしい リリー・マルレーン
いとしい リリー・マルレーン
地獄のような戦いに 身を捧げて傷ついて
倒されたあなたは最後に叫んだ
いとしい リリー・マルレーン
いとしい リリー・マルレーン
平和の日は来たけれど あなたはまだ帰らない
瞳をとじれば聞えるあの声
いとしい リリー・マルレーン
いとしい リリー・マルレーン」
まだあどけない、幼な顔を残した若いドイツ兵の頬を、涙がとめどなく流れ落ちていった。
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