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2022-04-27 18:39
(連載2)「北方領土はウクライナ人が住民の4割」のなぜ
中村 仁
元全国紙記者
第二次大戦終結当時、ソ連(スターリン当時)が北方領土を不法占拠し、すぐに住民を大量に移住させ、実効支配を既成事実化しようとしたのでしょう。極東の住民の過半数がウクライナ出身とすれば、北方領土の島民についても4割を占めるに至った謎も解けてきます。そうだとすれば、「不法占拠を続けるウクライナ支援をなぜするのか」「島を離れて日本に返還するように」と主張しても、現在のウクライナ政権に対する呼びかけとしてはどうなのでしょうか。
ウクライナ人の大挙移住の理由について、著者は「ロシア政権による農奴解放政策の失敗、土地の細分化、農民の貧困と失業などが遠隔地への移住圧力を生んだ」と指摘します。ロシア支配下の農政の失敗が原因とみる。歴史の流れを振り返ると、「帝政ロシア時代の1900年前後に、貧困から逃れるためにウクライナ人が極東に大挙移住」、「ソ連邦が1922年に成立し、ウクライナも構成国(事実上のロシア支配)に」、「第二次大戦の終結(1945年)と北方領土の占拠、ロシアからの移住促進」、「ソ連と領土返還交渉の開始(56年~)」、「ウクライナが独立、ソ連崩壊(91年)」です。
安倍首相はプーチン露大統領と首脳会談を重ね、領土交渉を続けました。北方領土の島民の4割がウクライナ出身者であることを安倍首相側は知っていたはずなのに、ウクライナへの呼びかけは全くしていません。いまさら、「ウクライナ人は祖国に帰れ」といっても、無反応でしょう。住んでいるウクライナ出身者も自らをロシア人と思っているから、そういわれても困る。祖国に帰ろうにも、故郷は露軍の破壊で廃墟と化している。
ウクラナとソ連との関係では、著者は「1920年頃の飢饉でウクライナ人に100万人の死者」、「32年頃の大飢饉では350万人の死者」という悲惨な歴史を書いています。主にソ連支配下での農政(集団農業政策)の失敗によるとみています。「スラブ3兄弟」という言い方はロシアの独りよがりでしょう。さらに「19世紀末にはユダヤ人が200万人いた」とし、ゼレンスキー大統領がユダヤ系である理由も分かります。ナチス・ドイツによるウクライナ人のユダヤ人虐殺にも触れ、「1941年、3・4万人がキエフ郊外に集められ、射殺され、穴に埋められた」と。ドイツに厳しい理由はそこにもある。大虐殺と穴埋め、大飢饉と大量の餓死者、欧州列強によるウクライナ分割の繰り返し、戦時の焦土作戦など凄まじい歴史が淡々と描写されています。日々、送られてくる現地の映像を見ながら、そういう歴史を生き抜いてきた延長線上に今のウクライナがあると、思い知らされます。(おわり)
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投稿履歴
(連載1)「北方領土はウクライナ人が住民の4割」のなぜ
中村 仁 2022-04-26 19:40
(連載2)「北方領土はウクライナ人が住民の4割」のなぜ
中村 仁 2022-04-27 18:39
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