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2021-07-08 00:25
(連載2)日露平和条約交渉の視角と死角:「引分け」とは「北方四島÷2」ではない
梶浦 篤
研究者
5.ソ連・ロシアの対日政策
柔道に即して言うならば、ソ連の対日参戦は、「反則」である。「一本」とうのは、日露戦争のような、一対一で正々堂々と戦った勝者にのみ、認められるものである。そもそも「礼に始まり礼に終る」というのが、柔道の基本であるはずだ。これまでに「火事場泥棒」とか「盗人猛々しい」などと言われてきたソ連の行為は、「反則」と言わざるを得ない。
日ソ開戦前は、恐らく日本人のソ連に対する印象は、交戦中の米英中よりも良かったものと思われる。それが、戦争により逆転してしまい、戦後はソ連・ロシアの片想いとも言われるようになっている。やはり、加害者側からの、反省、謝罪、返還を伴った、「引分け」の平和条約を達成することによって、両国が両想いとなることが、望まれよう。
ところで、サンクトペテルブルク大学の法学部を卒業したメドベージェフ元大統領が、ロシア人は法律を守らないと言っていたが、それは信じても良いであろう。2020年7月にロシアは憲法を改定し、領土譲渡禁止条項を盛り込み、日本ではこれで領土返還が難しくなったという懸念が出された。しかし、ロシアの大統領が決断すれば、後はいか様にでも独自の解釈を用いて強弁し、国民もルールなんてまあそんなものだ、大統領がそういうのだったら仕方がない、と納得してしまうということもあり得よう。とは言え、法律上、「国内法援用禁止の原則」により、ソ連が参加した連合国共同宣言や、日ソ共同宣言などを、憲法によって、あるいは憲法の改定によって、否定することはできないのである。
いずれにしても、島々への米軍の駐留を恐れて返還を渋ることと同じで、交渉の初期にはあくまでもハードルを上げておいて、最後の最後でダミーの条件をさっと取り下げて、さも譲歩したように見せかけて、ロシア側に有利な条約を、日本側にお得感を持たせて丸呑みさせるという交渉術に、警戒しておく必要がある。先にも記したように、最初に200を要求しておいて、最終的に100を譲って、残りの100を取るという交渉術である。また日本側も、このような国との交渉に当たっては、それ相応の交渉術を用いても良いであろう
6.日本の対ソ・対露政策
日本人は大人しい国民性で、自国に厳しく他国に優しい人が多いが、大抵の国では、自国に優しく他国に厳しいのが常である。日本がソ連からされたようなことは、フィンランド、ポーランド、ルーマニア、バルト三国など、他に幾つもの国々がされているが、おおかた寛容な国々である。しかし、これがそのような国でなかったなら、国によっては、相手の大使館前に毎週1回集まって、「反省しろ!反省しろ!反省しろ!」「謝罪しろ!謝罪しろ!謝罪しろ!」「返還しろ!返還しろ!返還しろ!」「補償しろ!補償しろ!補償しろ!」「戦犯国は常任理事国にふさわしくない!」などと叫ぶであろう。女性の像、この場合は稚内公園にある「氷雪の門」、ソ連軍から悲惨な仕打ちを受けて樺太を追われ嘆き悲しむ女性の像を世界中に、また、これは明らかにウィーン条約違反だが、大使館や領事館の前にまでも設置したであろう。このようなことを超タカ派の国に対して行うなら、「強烈な不満を表明する」とされるだけで終わってしまうかもしれないので、そのまま真似するのは逆効果であろうが、少しは参考にしても良いであろう。
佐藤栄作首相は、沖縄返還交渉の際に、内容が甘いと反対する勢力に、もっと反対運動をやれと励ましたそうである。その方が、日本政府が米国政府に対して交渉する際に、日本国内にはこれだけ強硬な意見があるから、譲歩してくれと主張しやすくなるため、立場が有利になるということだろう。従って、北方領土の難民が、根室が、国内世論が、強固な主張を行っている方が、交渉は有利となるであろう。アウェイでなく、ホームで試合をした方が有利となるということであろう。にもかかわらず、返還要求をしてきた大会で、例年、北方領土を返せと叫んできたところが、近年、平和条約をむすびましょうに変えられてしまったのは、全くの逆効果となろう。
従って、ロシア側から交渉は静かな環境でなどと言われても、同意すべきではない。それは、何よりも、ロシア側が自分の方が立場が弱いと認識しているということを、図らずも示しているからである。また、こちらが引いたのにも関わらず、ますます増長してくるならば、押し返すしかない。例えば、「日露平和条約は、大西洋憲章に反してはならない」と主張してはどうか。そして、相手に、「あの時に妥協しておけば・・・・・・」と後悔させることである。あるウクライナ人研究者は次のように語る。返還のチャンスはまだある。なぜならば、ロシアはこの100年で2回ひっくり返った国だから。
7.「島」と「信」の交換
「引分け」とは、日本は「島」を取り戻し、ロシアは「信」を取り戻すこととも言える。領土についてだけても、もし「四島」返還となったとしても、実際には、国後、択捉の「二島」対「十八島+南樺太」となるので、ロシアの大勝利となる。
1956年のモスクワ宣言を基礎とするとしても、同宣言下で同時に公表された「松本・グロムイコ書簡」にあるように、領土問題は継続審議となっている。従って、同宣言を基礎にするということは、直ちに国後・択捉の放棄を意味しない。もしそれで終止符を打つとするなら、ロシアの完勝となるのである。
1993年の東京宣言を加味して、平和条約に歯舞・色丹のみならず、国後・択捉も「引渡す」と明記することも可能である。また、善隣条約として歯舞・色丹の返還を明記することに加えて、モスクワ宣言とともに公表された、領土問題の継続審議を定めた「松本・グロムイコ書簡」の内容をも、平和条約に付記するという方式も可能である。平和条約は国境の画定を意味するといったことを聞くことがあるが、第一次世界大戦のヴェルサイユ講和条約も、第二次世界大戦のサンフランシスコ講和条約も、その締結後に国境の再調整が行われている。奄美、小笠原、沖縄の日本への返還が良い例である。
国後・択捉を含めて「日本を取り戻す」ことができるか、北方領土への大西洋憲章の適用をもって「戦後レジームからの脱却」が実現できるかが、問われているのである。現段階では一部の島々の返還しか不可能と判断して、北方領土問題に終止符を打つのではなく、もっと賢い次世代を育てることに努め、彼らに委ねた方が得策ではないだろうか。尖閣諸島で鄧小平がやったような「独り言」では無効だが、そうではなくて、明文化して。「日本を取り戻す」などと言っておきながら、「日本固有の領土」と言い続けてきた国後と択捉を放棄するなどということは、日本国民に対する「背信行為」に他ならないのではなかろうか。そもそも、四島返還は自由民主党の党是であるはずだ。年老いた国後・択捉の難民を、失望させ絶望させることだけは、絶対に避けなければならないのである。終戦直後、米ソ間の合意ができなかったため、より正確には、米国が樺太の朝鮮人がソ連支配下で赤化しているのではと恐れ、彼らの朝鮮半島への帰国を嫌ったことによって、樺太に残留させられることになった朝鮮人が、祖国に帰れないことを悲観して自害したという痛ましい事件が起こった。似たようなことが北方領土についても起こったなら、日露両政府の責任は免れまい。
最近の政治状況を見ると、「四島アイヌ勘定」即ち「始め」「歯舞」「色丹」「終り」であるとか、「歯舞は六島から成るため色丹と合わせて七島返還です」などと言われかねない。
日本人には、他国、特に近隣諸国と比べて、自国に厳しく他国に優しい人が多いように思われる。これは日本人の美徳であると同時に、日本の外交の弱さでもある。しかし、他国に対してもおかしいことはおかしいときっちりと主張する人たちが結構いることを、忘れてはなるまい。その人たちは、「二島で終止符」では決して納得せず、許すとか和解するとか信頼するということには決してなるまい。ちなみに、北方領土からの難民ではないにもかかわらず、この地域に本籍を移した日本国民が、80人ほどいるのである。
一般論として、和解するためには、加害者、侵略者が失った信頼を回復するために、相応に反省し、謝罪し、原状回復することが求められる。もし、そうでなければ、被害者としては、いつまた裏切られるかわからない、そのような和解の約束は、いつまた反故にされるかわからないと、心しておかなければなるまい。和解が成っても、信頼は決して少しも回復されまい。言わば、それでは「リセット」されないということである。
報道によれば、色丹の日本人所有の地権を買いまくっている日本人の二島返還論者もいると聞く。二島返還に反対する専門家たちを「国賊」呼ばわりして窘められる日本人もいる。愛国心や同胞愛という言葉を使わずとも、間違っても、原状回復に応じない加害者や侵略者の側に付いてはならないのではないだろうか。
日本政府は、戦後長きに亘って、北方四島は「日本固有の領土」であるとして、返還を要求してきた。これを撤回してしまうと、同じく「日本固有の領土」であると主張してきた竹島や尖閣諸島についても、そのうち撤回するのではないかという「希望的観測」を韓国や中国に与えかねず、これらの国々から強硬な姿勢を取られかねない。ちなみに、あまり知られていないことではあるが、韓国の竹島占領に際して、日本人5人が死亡、39人が負傷、約4000人が強制連行されているのである。その後、死亡者は8人に膨れ上がっている。尖閣諸島については、よく知られていることであるが、中国が自国の領土だと主張したのは、近海に石油が埋蔵していることが知られるようになったため、台湾が自国の領土だと主張したことに触発されたからに過ぎない。
ロシア人ジャーナリストが、両国の歴史認識の差が領土問題の解決を難しくしていると言っていた。しかしながら、ロシアの「大祖国戦争史観」、ソ連軍は第二次世界大戦でファシストを打倒した「解放軍」であるという認識に固執し続けることは、世界、特にソ連軍の軍靴によって踏みにじられた国々からすると、とても納得できない歴史認識の誤りを、直視していないということになろう。日本もソ連に対しては明らかに被害者であり、犠牲者であるにもかかわらず、これまでにどれ程の議論を、ソ連・ロシアに対して挑んできたのだろうか。いずれにせよ、ロシアの「大祖国戦争史観」は、ソ連に一方的に併合されたエストニア、ラトヴィア、リトアニア、モルドヴァ、ソ連に一方的の衛星国にさせられたポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーなどは、とても賛同する気持ちにはなれないだろう。今はなき東ドイツの支配者側の人々は別であろうが。今となっては、例外としては、ベラルーシがあげられるが、クリミアを奪われたウクライナも最早、例外とは言えないだろう。
2018年に行われた世論調査によれば、次のようになっている。
読売新聞 産経新聞 NHK
四島一括 25% 33% 38%
二島先行 58% 46% 38%
二島+α 11% 5% 10%
二島レンタル - - -
「二島で終止符」では、日本国民の理解は得られまい。
前出の袴田氏が、ロシアで帽子を買う際に、自分から、この値段でなければ買わないときっぱりと言って、その値段に負けさせた。ロシア人との交渉の仕方を、さすがによく理解していると、思わされたものである。「大西洋憲章に反する平和条約は結べない」ときっぱり言い続ければ、ロシアがいつかそれで手を打とうという決断をする時が来るはずである。その時を待つだけだ。何島でもいいから、とにかく返してもらいたいとなると、領土の喪失に加えて、お金の損失がただひたすら続くだけということになりかねまい。国際関係研究家の梅本哲也氏によれば、「二島追うものは一島も得ず」ということである。
国後・択捉の日本への返還が現時点ではどうしても難しいのならば、歯舞・色丹を日本に返還し、領土問題の継続審議を明記し、あくまでも「平和条約」ではなく、「善隣条約」などの別の名称とすべきである。サンフランシスコ講和条約の締結後にも、奄美、小笠原、沖縄を米国が日本に返還したように、第一次世界大戦のヴェルサイユ講和条約締結後にも国境の再調整が行われたように、平和条約締結が領土問題の最終決着を意味するものでは決してないが、領土問題の継続審議が明記されても、一旦、平和条約が結ばれてしまえば、ロシアが相手なら領土問題は「解決済み」とか「存在しない」という、かつてよく聞かされた言葉が繰り返されることを、覚悟しなければならない。中国の尖閣諸島への要求は、石油が出るとわかってから初めて、それなら俺のものだと言う、全く根拠のないものではあるが、鄧小平が行った、後世の両国民はもっと賢くなっているだろうから……として曖昧にして置くという手法もあるにはある。しかし、やはり「平和条約」という名称は、避けておくべきであろう。
根室と国後・択捉の間に国境線を引いたり、国後・択捉を放棄するような取決めは、故郷の返還のために、一貫して必死に努力し続けてきた高齢の難民に絶望をもたらすこととなり、政府主導の下で長年に亘って四島返還で心を一つにしてきた日本国民の多くも、強く反発するであろう。このような現実を、日本政府はもとよりロシアも、しっかりと直視すべきであり、未だに「我が国は大国だ」と言うなら、まさにその度量が求められよう。
8.非対称な互いのイメージ
日露関係に関して、興味深いデータが2つある。
まず、日本人の外国人に対する親近感に関する調査(内閣府 2019年9月)によれば、次のような結果が出ている。
親しみを感じる 親しみを感じない
米国 78.7% 19.1%
ヨーロッパ 65.3% 28.7%
東南アジア 61.6% 31.5%
韓国 26,7% 71.5%
中国 22.7% 74.9%
ロシア 20.8% 76.2%
(どちらかと言えばを含む)
次に、ロシア人に対して、ロシアにとって重要なパートナー国は? と尋ねた結果は、次のようになっている。 (日本外務省 2018年)
中国65% ②日本23% ・・・・・・⑦韓国12% ⑧米国11%
日露両国の互いのイメージに関するこのような非対称性は、第二次世界大戦以降一貫して続いている、ソ連・ロシアの対日強硬政策に最大の要因がある。この点について、ロシア人の方こそ、重く見る必要があるだろう。
9.おわりに
G7は旧連合国と旧枢軸国が仲良く共存しているが、それは大西洋憲章、連合国共同宣言などで謳われた、「領土不拡大の原則」「民族自決の原則」をおおかた順守して、領土問題がおおよそ「引分け」で解決されていることにも、よっていると言えよう。ロシアにとっては、「島」を返還して「信」を取戻し、G8への復帰を目指し、中国に備えるのが国益である。
沖縄返還を実現した佐藤首相は、それによってノーベル平和賞を受賞した。日露両国の首脳が、平和条約を達成したことで、ノーベル平和賞を受賞することができたなら、両国民にとってこれほど喜ばしいことはなかろう。ただ、そのためには、条約が正義に基づくものである必要があろう。
「正義」とはなにか? 100人いれば100通りの「正義」があるとも言われるが、一番説得力があるのは、やなせ・たかし氏の定義だろう。彼は戦争体験から、「困っている人を助けるのが正義だ」と悟ったと述べている。そうとするならば、故郷を追われ困ってきた難民一世やその子孫に一日も早く故郷を返し、かつ後から来た人々が極力困らないように、希望者の残留を含めて充分に便宜を図るということであろう。
2021年4月20にNHKで報道された、1973年の田中角栄首相とブレジネフ書記長の会談のためのソ連の機密文書「ソ日関係の諸問題」にある、予備の立場としての3つのうち、1つ目の歯舞、色丹のみの「引き渡し」、3つ目の領土抜きの条約と並んで、2つ目の案によれば、歯舞と色丹の「引渡し」に加えて、国後と択捉については港に立ち寄る権利を日本漁船に与えることと、この海域での漁業権を然るべき料金で提供することなどがオプションとして盛り込まれていた。これら3つの提案とほぼ同じ内容が、会談2か月前にブレジネフらの署名した指令書にも記されていた。今日の日露間の力関係の逆転や、その後の日本による対ソ・対露支援などの状況の変化を考慮に入れ、国後、択捉の帰属を継続審議としてという修正を行えば、合意の基礎ともなり得よう。
また、限られた時間内に何らかの成果をと言うならば、「領土問題の継続審議」を明記したうえで、事実上の無人島となっている歯舞諸島をとりあえず返還するという内容で、批准の要らない「歯舞諸島に関する協定」(仮称)を結ぶというのも、一法かもしれない。1953年の奄美諸島の返還協定、1968年の小笠原諸島の返還協定が、その前例となろう。
さらに、返還までの暫定措置として、島々のそれぞれの廃漁村1つずつを日本地区として、少なくとも難民とさせられた日本人島民一世とその家族が居住できるようにするような配慮が、なされるべきである。高齢の一世のために、各島に施設を造り、「ビザなし滞在」ができるようにすることも、急がれる。両国政府が双方の立場を害さないという制限のもとでも、彼らのために今にしかできないことは、まだまだあると思われてならないのである。
日本人が最も敬愛する外国人柔道家は、恐らく、オランダのへ―シング氏と、エジプトのラシュワン氏であろう。前者は、「金」を取った瞬間に畳にかけ上ろうとした同国人たちを制した。後者は、「銀」となったが、決勝で山下氏の怪我の足を一度も攻めなかった。プーチン大統領が、彼らに列せられるようになることを、強く望む。(おわり)
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(連載1)日露平和条約交渉の視角と死角:「引分け」とは「北方四島÷2」ではない
梶浦 篤 2021-07-07 01:53
(連載2)日露平和条約交渉の視角と死角:「引分け」とは「北方四島÷2」ではない
梶浦 篤 2021-07-08 00:25
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