当時のエジプトの民主化運動において軍部が中立を保って政治に介入しなかったことが独裁体制崩壊を加速させた要因となり、エジプト民衆の勝利は1989年6月の人民解放軍による武力弾圧を期せずして想起させ、恐らく「抗命軍人」第一号として徐将軍の決断が見直されたのである。そして奇しくもまた2021年早々、河北省石家庄市における徐将軍の訃報が流れたのである。
2020年、新型コロナウイルス禍に対処し、香港への「国家安全法」適用によって民主派勢力を抑え込んだ現在の習近平体制は一見「盤石」のようにもみえる。1月7日には中国共産党中央政治局常務員会を開催し、全人代常務委員会、国務院、政治協商会議、最高人民法院、最高人民検察院、中央書記処の各活動報告を聴取して3月5日に開幕を決定した全人代会議、及び7月1日に予定される中国共産党創立100周年の準備を万全に行うよう習近平・党総書記が指示した模様である。
しかし、2021年に入り首都北京に隣接する河北省では、省都の石家荘市(徐将軍終焉の地)で新型コロナウイルスが蔓延し始め、衛生工作担当の「女傑」孫春蘭・副総理(政治局委員)が6日から8日まで河北省を視察して「戦時指揮システム」の迅速な活用を要求、前日5日に先乗りした馬暁偉・国家衛生健康委員会主任は河北省の王東峰・党委員会書記、許勤・同副書記(省長)ら現地指導部に対し「四早」(早期の発見、報告、隔離、治療)活動の徹底を促していた。
近年、習近平が倦まず唱える「平安中国」(セイフティ・チャイナ)構想は、内外情勢の進展・悪化によっては「砂上の楼閣」に堕する可能性もあるのだ。この点、4~5日付で「百花斉放」欄に掲載された葛飾西山氏の論稿「新型コロナウイルス禍と歴史学の同時代性について」からは大変な啓発を受けた。葛飾氏が指摘する「(疫病など危機に際して)昔の人々はどのように乗り切ったのか、疫病明けの新しい時代にどのように適応しようとしたのかというミニマムな姿」こそ理系など自然科学分野とは異なって、実験が不可能な社会科学分野が丹念に追究し、重視すべき事象であると小生は思う。それは巷間に流布する評論家の御高説や、自称専門家の新論ではないであろう。(おわり)