E.J.カプラン氏の米商務省報告『日本:政府と産業界の関係』(1972年、邦題『日本株式会社』)では、日本のGDPが西ドイツのGDPを1968年に抜いたことを背景に、米民間コンサルティング会社に日本のコンピュータ、自動車、鉄鋼の3産業の調査が依頼され、その調査結果を活用して、「行政指導」(administrative guidance)にも光が当てられた。ロックウッド氏たちの共同日本研究プロジェクト等を参照にして、「日本株式会社」の実態を描き出そうとしたのであった。官民で合意があれば「行政指導」は効果的だが、それがなければ、民間企業はその「ガイダンス」通りには動けないことも書かれている。しかし「ガイダンス」通りに動かなければ、将来に不利益を被るかもしれないので、行政指導は「ニンジンとムチ」(carrots as well as sticks)の機能を持つとも示唆された。「sticks」が「棍棒」と訳されることもあるようで、その時には随分違った印象を与えることになる。ヒュー・パトリック氏とヘンリー・ロゾフスキー氏の大型共同研究プロジェクト『アジアの新巨人:日本』(1976年)においても、「行政指導」が大いに注目されたのだけれど、石油ショックによる大変化に遭遇し、勘違いも含まれ、出版当時の事情が分からなければ理解しにくいものになったと言わざるをえない。出版当時に日本経済に関心を持っていた研究者たちは、その便利で素晴らしい研究成果を利用し続けることになった。たとえば、行政指導についての議論は、都留重人氏の『日本の資本主義』(1993年、中国語訳あり)に盛り込まれている。ジョンソン氏の本では、行政指導に関して重複する議論が避けられていると思う。