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2016-12-19 14:54
(連載1)保護主義は反知性的か?
倉西 雅子
政治学者
戦後の国際経済では、ブロック経済に対する反省から自由貿易主義が追求され、IMFとWTOを両輪とする自由貿易体制が構築されてきました。共産主義体制にあって統制経済を採用したソ連邦と東側陣営の崩壊は、自由主義経済の正しさの歴史的証明とも見なされたのです。
しかしながら、今日、アメリカの大統領選挙におけるドナルド・トランプ氏の勝利を機に、新自由主義に対する批判が高まっています。と同時に、グローバリズムを推進する側からも、政府による国境規制の強化は、大衆迎合であり反知性的態度であるとする反論も提起されているのです。それでは、保護主義とは、全く以って、反知性的な考え方なのでしょうか。
“自由”とは言っても、実際には、幾つかの違った概念が含まれています。その一つは、一切の外部からの拘束のない“絶対的な自由”であり、もう一つは、既に拘束が存在する状況において各自に認められる“拘束からの自由”であり、その拘束が侵害行為を排除し、公平で公正なルールによるものであれば、“規律ある自由”となります(これらの他にも、バーリンのように積極的自由として政治的自由を論じる場合もある…)。
“絶対的な自由”とは、それが、各自の完全なる自由行動を意味するならば、ホッブスが人間社会の自然状態として想定したように、“万民の万民に対する闘争”が発生し、当然に、暴力等による他者の自由や権利に対する侵害行為も頻発します。このため、今日では、“絶対的自由”の保障は、主として内面の自由に限定されているのです。(つづく)
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