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2016-12-13 11:36
(連載2)米大統領選挙に見るリベラルの排他主義
倉西 雅子
政治学者
ここに、国家や社会の維持を望む保守的な人々と個人の自由、特に、マイノリティーの人々の自由を優先するリベラルな人々との間において、抜き差しならない対立を見出すことができます。そして、この抜き差しならぬ関係は、リベラルをして保守主義者の排除という行動に駆り立てるのです。
反トランプ抗議デモは、トランプ氏を大統領と認めないことにおいて不寛容と排除の姿勢を露わにし、カリフォルニア独立運動も、アメリカ合衆国から脱退を訴えて保守主義との共存を拒否しています。自らが理想とする共存を実現するには、保守主義を排除しなければならないのですから、これ程の自己矛盾もありません。
リベラルの理想郷とは、既存の国家や社会を消滅させなければ実現しないことを、自らの行動で示してしまったのです。自由であれ、権利であれ、他者からの侵害に対する防御という意味で本質的に排他的ですので、保守主義もリベラルも、この点においては同列なのです。
アメリカ大統領選挙に見られる両者の対立は、結局、寛容を主張しながら排他主義の“本音”を晒してしまった点において、リベラルにとって痛手となったのではないでしょうか。トランプ氏は、選挙遊説中にその“本音”によって支持者を集めたとされていますが、リベラルの人々は、意図せずして露わにしてしまった“本音”、即ち、‘他者の排除’があまりに攻撃的な思想であった故に、人々を遠のかせてしまったと思うのです。(おわり)
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(連載1)米大統領選挙に見るリベラルの排他主義
倉西 雅子 2016-12-12 16:40
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倉西 雅子 2016-12-13 11:36
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