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2011-08-02 07:34
菅は「広島・長崎」を政治利用で冒涜するな
杉浦 正章
政治評論家
大震災も原発事故もあらゆる事象を延命のために政治利用する首相・菅直人が、今度は広島・長崎の平和式典に出席して「脱原発」を訴えようとしている。既に原水禁など市民運動は、その闘争の主題として「核廃絶」と同一線上に「反原発」を加え、国民の感情論を利用して、運動の拡大を図り始めた。NHKなどの原発報道も明らかにこれに同調した左傾化が見られるようになった。菅の姿勢は、こうした「核兵器廃絶」と「反原発」を混在させる動きと呼応して、本来祈りの場である広島・長崎の式典の場を、「延命のための政治」で冒涜(ぼうとく)する側面がある。官房長官・枝野幸男の8月1日の発表によると、菅は6日に広島市で開かれる「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」、9日に長崎市で開かれる「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」にそれぞれ出席する。菅はかねてから両式典を活用して「脱原発解散」を打ち出す予定だったが、支持率低迷で不可能となり、「脱原発」によるエネルギー政策の見直しを訴えることになりそうだ。
おりから原水禁の国民会議が初めて福島市で開かれ、原発の停止や廃止に向けた「反原発」の必要性を訴えた。従来の核兵器廃絶に偏りがちな運動方針を「反原発」へとかじを切る画期的な運動展開となった。この「反原発」を巡っては、原水協も広島と長崎で開く大会で議論することにしているほか、全国の被爆者でつくる日本被団協も反原発の姿勢を強める流れだ。この動きを全国紙の多くが第2社会面などで扱ったが、NHKは7月31日の午後7時のニュースの3番目に長々とセンセーショナルに報じ、それでも足りないのか、翌1日の朝には原水禁の動きと絡ませて、第五福竜丸船員に「誰が核兵器に匹敵する原発を日本に導入したのか」とまで語らせている。福島原発事故発生以来NHKの原発報道は公共放送の中立性を逸脱しているとみられるケースが多く、おそらく社会部主導による左傾化傾向を強めていると感じていたが、自治労・全道庁労連のホームページを見て納得した。
全面的にNHKの報道ぶりを礼賛しているのだ。7月10日の番組「NHKのシリーズ原発危機・どうする原発」をとらえて「通常、この種の番組は、特にNHKは組織の性格上、両論併記で幕を閉じるのが普通だが、今回は明確なメッセージを視聴者に残した点は驚きだった」「NHKの報道の姿勢を明らかに脱原発へシフトする内容だったといっていい」ともろ手を挙げて賛同。勢い余って、「思わずそうだとテーブルを叩いてしまった」とまで褒め称えている。自治労が大喜びするようでは、まさに報道左傾化の証左となろう。7月23日の解説委員の討論会・双方向解説は「どうする原発・エネルギー政策」をテーマとした解説委員らの座談会だったが、原発維持派の解説委員が無能だったからでもあるが、「脱原発派」が圧勝した。このNHKの姿勢は、日経の調査で「原発再稼働すべきだ」との回答が53%で、「再稼働すべきではない」の38%を大きく上回っているような情勢を見誤り、公共放送としての中立性を著しく逸脱している。当然国会で取り上げるべき問題だろう。将来の「脱原発」はそれが可能なら当然だが、現在それが成り立つような論理構成には無理がある。
喜んでいるのは、菅だけだ。今度は広島と長崎のフル活用だ。きっとNHKが応援してくれる。しかし原爆式典は、原爆死没者の遺族をはじめとして、市民多数の参加のもとで挙行されるものであり、毎年広島市長によって行われる平和宣言は核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けているものだ。原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための式典である。本来ならば厳粛なる祈りの場であり、その場を利用して、菅は延命のための「脱原発」を主張すべきではない。本来「核廃絶」と「原子力の平和利用」は同一線上で語られるべきものではあるまい。原発は原子力平和利用の象徴であって、核兵器でもない。菅の「脱原発」は表現を「減原発」に変更せざるを得なかったことが象徴するように、民主党政権内部ですら受け入れがたいものとなっている。その不満を菅は出自の市民運動レベルにまで先祖返りして、延命のきっかけとしようとしている。まさに悪あがきも極まれりだ。
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