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2010-12-26 01:13
安保理、対イラク経済制裁を20年ぶりに解除
石川 純一
フリージャーナリスト
国連安保理は12月15日、イラク復興に関する閣僚級会合を開き、イラクの旧フセイン政権による1990年8月2日のクウェート侵攻に伴い、安保理によってイラクに科された経済制裁を解除する決議を採択した。会合は議長国・米国のバイデン副大統領が主宰。フセイン時代の「負の遺産」である国連制裁の全面解除に道を開くもので、新生イラクの自立を象徴する節目となる。20年にわたるこの制裁が、サダム・フセインの刑死に至るきっかけとなったわけだから、その意義は少なくない。
制裁解除により、イラクは民生用の原子力開発が可能になる。また、国民向けの援助物資購入などに確実に充てるため国際管理されてきたイラクの一部予算の執行も、イラク自身の手に委ねられる。バイデン副大統領は会合における演説で、イラクの新政権発足を後押しし、国際社会がイラク支援を今後も続けるよう呼び掛けた。折しも、この8月には、米国が、イラク駐留米軍の戦闘任務終了を公式に宣言している。米軍完全撤退に向けた道筋が、確実に整ってきたといえる。
クウェートに侵攻したイラク軍は、侵攻後6日目の1990年8月8日、クウェート併合を発表。この侵攻に対し、直ちに開催された安保理はその日のうちに、イラク軍の即時無条件撤退を求める安保理決議660を採択、さらに同月6日には、全加盟国に対してイラクへの全面禁輸の経済制裁を行う決議661も採択。この間に石油価格は一挙に高まったものの、決議661の経済制裁によって、イラクは石油価格高騰の恩恵にあずかることができなかった。フセイン包囲網の始まりである。
1990年8月7日、米国のブッシュ大統領(父親)は、盟友サウジに、米軍のサウジ駐留を認めさせ、軍のサウジ派遣を決定。イラク軍のクウェート侵攻に端を発した湾岸危機は、翌91年には、湾岸戦争となってフセインの共和国防衛隊は蹴散らされることになる。西側陣営は、イランのイスラム革命が湾岸に波及するのを恐れるばかり、フセインのイラクに対し多大の経済・軍事援助を与え、イラクをイスラエルを除いた中東最大の軍事大国の1つに押し上げたが、今度は、これを自らの手で突き崩すことになった。
湾岸戦争時のイラク軍は、サウジ、イスラエルに対し再三にわたりスカッド・ミサイルを撃ち込んだが、10年余に達する対イラク制裁は、フセイン政権下の同国経済を大きくむしばみ、2003年のイラク戦争では、戦局を左右するような軍事作戦を、イラクが行うような事態は、全くなかったのである。フセインの命運はここに尽きたわけだ。今後、イラク情勢は、いろいろ紆余曲折はあろうが、今回の制裁解除によって、イラク軍クウェート侵攻―湾岸危機―湾岸戦争―イラク戦争と続いたフセインの「負の遺産」に関し、1つのピリオドが打たれたのは確かだ。
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