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2009-10-09 18:38
(連載)吉田対鳩山の戦いのニュー・ラウンド(1)
若林 秀樹
元参議院議員(民主党)
鳩山由紀夫氏は、小泉政権後の3年間で何と4人目の内閣総理大臣である。興味深いのは、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、そして鳩山由紀夫とつづく4人共に、その父または祖父が、戦後日本外交の枠組みを作った吉田茂総理と争い、あるいはその影響を受けて総理になったということである。この4人の宰相は、結果として数十年の歳月を経た今日なお、吉田路線との政治的な距離を測りながら、自らの立ち位置を決め、その外交理念を国会の場で展開するのである。
最初の3人は、総理として目に見えない吉田路線と格闘し、その重みに苦しみ、敗れ去ったとも言えるかもしれない。それだけ吉田路線は、良くも悪くも戦後日本外交を今もって支配し続けている外交の柱なのである。吉田路線とは、わかりやすく言えば「日米関係重視、軽武装、経済優先」の戦略である。その路線を決定づけた背景として、外交のねじれ現象があった。
一方で、国際社会への復帰を目指すために、自衛のための防衛まで否定した、憲法9条の非軍事化路線を内外に約束しつつ、他方では、一転して米国の求める再軍備に応じ、米軍の駐留を認めて、日米安保条約を締結した、というねじれた現象であった。吉田茂総理は、これらの矛盾を飲み込み、外交のリアリティと国益を考えた上で、前述の路線を選択したのである。
さて、問題の4人だが、まず吉田批判をして自由党を除名され、「自主外交」や「自主憲法制定」を標榜した岸信介首相の孫安倍晋三氏は、吉田氏とアメリカの合作である「戦後レジーム」からの脱却を訴えた。安倍氏は、米国から押し付けられた現行憲法の改正や、集団的自衛権の合憲化に精力的に取り組んだ。しかし国民が求めていたのは、小泉改革で痛んだ生活の安心、安定であり、政治課題の優先順位を間違えた安倍氏は、1年で総理の座を辞した。これも立ちはだかる吉田路線の大きさと共に、祖父の思いに駆られた衝動を抑えることができなかった、政治家としての未熟さを感じさせる。(つづく)
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