国際政経懇話会

第272回国際政経懇話会
「グローバル・ジハードのメカニズム」

 第272回国際政経懇話会は、池内恵東京大学准教授を講師にお迎えし、「グローバル・ジハードのメカニズム」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。

1.日 時:2015年3月23日(月)正午より午後2時まで
2.場 所:日本国際フォーラム会議室(チュリス赤坂8階803号室)
3.テーマ:「グローバル・ジハードのメカニズム」
4.講 師:池内 恵 東京大学准教授
5.出席者:19名

6.講師講話概要

 池内恵東京大学准教授の講話概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、オフレコを前提としている当懇話会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。

混迷する中東秩序をどう見るか

 2011年以来の「アラブの春」以降、中東では各国で国内政治が混迷化するなかで、テロが頻発し、「イスラム国」が台頭するなど、地域秩序がきわめて流動化している。この一連の流れを理解するためには、中東自身が現状をどう認識しているか、とりわけイスラム世界が主観的に現状をどう認識しているか、を内在的に把握する必要がある。そのためには、(イ)イスラム主義の思想史的把握と、(ロ)中東世界を取り巻く物理的環境の把握、という二つの視点が鍵となる。実際に思想が現実政治に与える影響は無視できない。ただし、思想だけが現実に影響を及ぼすのではなく、物理的環境が整ってこそ、思想は力を持つようになる。重要なことは、中東世界の内在的理解といっても、「理解をすること」と「それを受け入れる」ことは厳しく峻別されるべきで、両者を混同してはならない。

「グローバル・ジハード」の思想

 ムスリム(イスラム教徒)には理念的な共同体意識があり、現代社会にそれを適応することが正しいとは思わないが、カリフ制を再興したらイスラム原理主義者のための国家を建国可能という考えも一部にはある。マルクス主義崩壊後、「思想は現実に影響を与えない」という考えが一部で強くなった。1990年代前半、フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を主張し、アラブ・イスラム世界もリベラル・デモクラシーに膝を屈すると予言したが、そうはならなかった。結局、現在も思想が現実政治を動かしているのである。イスラム原理主義にアラブ世界の環境条件が適しているからこそ、この思想が現実に影響を与え、変化させているのである。エジプト、イエメン、シリアおよびイラクといった環境、政権の対応の全く違う国々でそれぞれ「アラブの春」が起きたことによって、これらの国々を比較研究の対象化できた。そして、このアラブの春の後、イスラム国がイラクおよびシリアで領域国家の真似事ができるようになった。

「グローバル・ジハード」の起源

 グローバル・ジハードという考え方がアルカーイダおよびイスラム国の原動力である。グローバル・ジハードにバチカン的権威、中心は無い。近代において世俗主義化したトルコおよびチュニジアは、イスラムの解釈を変えようと政治権力者が頑張った。ジハードを戦争ではなく、経済発展のための活動であると解釈しようとした。近代以降、「欧米列強が圧倒的に強いのに戦争しても勝てない。ムスリムがやるべきは経済発展だ」と、イスラム世界の世俗主義者は主張した。そんな中、1979年にソ連によるアフガン侵攻が勃発した。ムスリム達はこのソ連による侵略との戦いを米ソ東西冷戦ではなく、異教徒との戦い、ジハードと見なした。国家の枠を超え、アラブ世界の若者が多数、アフガンへ義勇兵として参戦した。そのアフガン義勇兵の一部が戦後、アルカーイダとなり、更にその次世代がイスラム国として活動し始めて今に至る。彼らは「アフガンでソ連とのジハードを戦って勝った」という成功体験を得た後、祖国へ帰国して、そこで「異教徒の支配に加担する政治指導者」を倒そうと、祖国の権力者に挑戦していった。しかし、そこでのテロが上手くゆかないため、転戦してグローバル・ジハードを行うようになり、ついには2001年9月11日に同時多発テロを決行するに至った。

「グローバル・ジハード」の変貌とアルカーイダ

 9.11同時多発テロをきっかけに米国はグローバル・ジハードを本当の脅威とみなした。そして、あらゆる手段を講じてグローバル・ジハード勢力を追い詰めていった。しかし、そのグローバル・ジハード勢力、特にアルカーイダはフランチャイズ化した分散型組織であり、ビンラディン等の中枢メンバーは世界中を逃げ回っていてネット上、国際メディア上に象徴として登場するのみだった。そして、物理的な繋がりの無いテロリスト達が各国で自発的にテロを行った後、犯行声明で「アルカーイダ」を名乗る事態が多発した。このグローバル・ジハードは指導者無きジハードであり、ブランド化の成功例である。一般人からみれば「多国籍テロ組織が存在する」かのように錯覚し易いが、現実にはバラバラの別組織が各国でテロを行っているである。2004年に、アルカーイダの広告宣伝担当者スーリーはローン・ウルフ型テロから始まる「2段階テロ」をネット上で提唱した。まず、メディア上にのみ指導者が姿を現し、末端の人々にイデオロギーを拡げ、テロリスト化させて各国の首都等象徴的な場所でのテロを促し、各国でテロが頻発することにより、人々は巨大テロ組織がジハードを行っているかのように錯覚するようになり、やがて、暴力と恐怖で治安の悪化し続ける世界に開放された空間、開放された戦線(無政府地帯)が出現するのを待ち、そこへ移住、武装化および戦闘を行い、最終的には領域支配を確立しようとした。2005年、「イラクのアルカーイダ」が「2020年カリフ制再興」をアラビア語の新聞で公表させた。ヨーロッパに逃げていたスーリーのような人間に言わせればそれは「時期尚早」だった。その後、数年間はイラクのアルカーイダの勢力が衰退したため、「カリフ制再興」は計画倒れとなると思われた。

アラブの春

 2011年に「アラブの春」が起きたが、そこでイスラム原理主義が台頭することはなく、アラブ世界も自由化、民主化すると思われた。アラブの春によってアラブ各国で「結社の自由」が認められたため、エジプトのムスリム同胞団等のイスラム主義穏健派、制度内改革派が結党および制度内での参選、参政を目指した。イスラム過激派、制度外武闘派は「人間が人間を選ぶ選挙」、「政治参加」自体がイスラム法に違反する背教とみなしているため、参選を拒否した。また、アラブの春前にも、選挙に当選しても世俗権力者によって潰された苦い経験があったため、選挙制度自体を信用していなかった。イスラム穏健派は選挙に勝ったものの統治能力がなく、急速に失墜した。イスラム穏健派は「失敗する機会」を失った。エジプトでは5年間くらい統治するチャンスを与えられず、1年間の統治失敗後、様々な勢力に支持された軍によるクーデターで政権の座を追われてしまった。その結果、そもそも参選していなかった過激派への国民の信頼が高まってしまった。アラブの春は強過ぎた中央政府を弱体化しようとしたが、チュニジア以外は失敗し、シリア、リビア、イエメンに至っては実効性のある政府そのものが無くなってしまった。

メカニズムとしての「グローバル・ジハード」と中東秩序の行方

 イラクのアルカーイダが2008年に米軍による掃討作戦で弱体化してアルカーイダ自体のブランド力まで低下した後、イラクのアルカーイダの分派がイラク戦争後の中東での宗派紛争に活路を見出し、「イスラム国」を名乗って勢力を拡大し、その指導者が全世界のムスリムのトップ、カリフを僭称した。このイスラム国の成功例はアルカーイダと同パターンであり、イスラム国もメディアを駆使して知名度を上げた。その効果もあり、それまでアルカーイダを名乗っていた各国のテロ組織もイスラム国を名乗り始め、現在に至る。紛争に巻き込まれている国々、特にイラクおよびシリアの辺境が結びつけられ、イスラム国による領域支配が可能となっている。イラク・シリアのようにまとまって軍事的に占領されている地域だけではなく、グローバル・ジハードは思想に応じて世界中へ勝手に分散する。このように、「イスラム国」は、イスラム過激主義という思想的背景と、国内政治秩序の混乱・地域紛争の激化という政治的・国際的条件の双方が合わさって現象化したと理解される。すなわち「イスラム国」は、グローバル・ジハードという「メカニズム」の中で胚胎した動きである以上、このメカニズムを理解し、その成立の条件をつぶすことがグローバル・ジハード自体への対応策となりうる。グローバル・ジハードを成立させる環境条件を改善することは、同時に、今後の中東秩序の安定化にもつながりうる。それへの対策としては、域内各国の治安の乱れを草の根から改善し、また貧しい地域の経済発展を促すなどして、「死んでもいいからジハードを決行しよう」と考える人々を減らすよう努力することなどが考えられる。

(文責、在事務局)