国際政経懇話会
第241回国際政経懇話会
「日本の問題意識:問われる日本の対中戦略」(メモ)
第241回国際政経懇話会は、第35政策提言「膨張する中国と日本の対応」の発表というタイミングを捉え、本政策提言を責任者として起案した伊藤憲一日本国際フォーラム理事長・政策委員長を講師に迎え、「日本の問題意識:問われる日本の対中戦略」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。
1.日 時:2012年2月9日(木)正午より午後2時まで
2.場 所:日本国際フォーラム会議室
3.テーマ:「日本の問題意識:問われる日本の対中戦略」
4.講 師:伊藤 憲一 日本国際フォーラム理事長・政策委員長
5.出席者:19名
6.講師講話概要
伊藤憲一日本国際フォーラム理事長・政策委員長の講話概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、議論についてはオフレコを前提としている当懇話会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。
第35政策提言作成プロセス、およびその反響について
日本国際フォーラムの対中政策に関する政策提言の発表は、2006年の小島朋之先生を主査とした第28政策提言「変容するアジアの中での対中関係」以来6年ぶりとなる。日本国際フォーラムが6年という短期間で再び対中戦略をテーマに採り上げて、政策提言を出すきっかけとなったのは、2010年9月に発生した尖閣諸島沖での中国漁船体当たり事件に衝撃を受け、日本としてどう対応すべきかという問題がでてきたためである。本事件直後には、日本国際フォーラム等3団体がそのホームページ上に運営する「政策掲示板」には各方面から多くの論考が寄せられたが、その圧倒的多数は「中国が覇権主義の正体をあらわしてきたとみるべきであり、日本はきちんとした対応を打ち出すべきである」という厳しい対中批判の議論であった。これを受けて、日本国際フォーラムは拡大緊急提言委員会を開催したが、同委員会の大勢も同様の議論であった。しかし、同委員会は、その見解を直ちに提言としてとりまとめ、発表する(とくに意見広告として新聞等に発表する)ことについては、当時の日本のメディアや国内世論が中国批判一色に塗り込められていたこともあり、「いまメディアや国内世論を後追いする、あるいは同調するよりも、むしろ、ここでしっかりと時間をかけて、冷静に問題を見つめ直した上で、なおかつ正しいと思われる意見を取りまとめ、発表するほうが、日本国際フォーラムにとってより有意義な作業となるのではないか」との結論となり、「問題を政策委員会に移して、じっくりと腰を据えて、この問題を考える」ことになったものである。
したがって、第35政策提言「膨張する中国と日本の対応」の審議の冒頭にあたっては、政策委員長である私から、「この提言では、昨年の尖閣諸島沖事件がなかったかのごとく、第28提言のつづきの議論をする、というわけにはゆかない。昨年9月の事件でなにが起こったのかの分析から議論を起こさざるを得ないと考えている」と申し上げた次第である。その後、高木誠一郎先生にタスクフォース主査をお願いして、2011年2月28日から政策委員会の一連の審議が開始され、第35政策提言「膨張する中国と日本の対応」の審議が行われた。政策委員会は、4回開催され、第1回会合には高木主査より「コンセプトペーパー」が提出され、第2回会合には、石平拓殖大学教授が講師として招かれ、「中国現代史の最も重要な転換点は天安門事件である。同事件で中国共産党は国民に銃口を向けたため、それまで共産党の統治の正当性を支えていた『共産主義』という神話が崩壊し、江沢民政権は以後『愛国教育(反日教育)』に政権の存立根拠を求めるようになった」との報告があった。第3回会合には、高木主査から「中間案」が提出されたが、その論調は「対中政策の要となるのは、言葉による説得力を磨くことである。中国に対してはまずは『関与』が大切で、うまくいかない場合のリスク・ヘッジは、その後で考えればよい」というものであった。この間において、政策委員長である私と高木主査との間で、第4回会合に提出すべき「最終案」作成の最終調整が行われたが、「関与」の重要性については意見が一致したものの、いくつかの点についてどうしても調整がつかず、「最終案」は主査ではなく、政策委員長の起案により政策委員会に提出されることとなった。高木主査からは「尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件は、『有事』と捉えるほどの問題ではないのではないか」、また「提言1『日本の領土を守れ』、提言2『有事の自存自衛』は、大上段に振りかぶって、対決的になりすぎている。提言3『日米同盟』では、日米同盟を強化することがもたらす対中安全保障ジレンマに関して、触れていない」などの指摘があり、「残念ながら署名できない」との意思表示があった。
第35政策提言「膨張する中国と日本の対応」は、68名の政策委員の署名を得て、成立し、2月10日には私が官邸に野田佳彦総理をお訪ねして、直接手渡したが、総理は現実をよく理解しておられ、「日米同盟を基軸として、関係諸国との信頼関係のネットワークを拡大しながら、中国とも戦略的互恵の関係を発展させたい」と述べられ、最後は意気投合した感じで握手を交わし、退出した。「このひとであれば対中政策を任せられる」という印象を受けた。なお、1月27日には産経、朝日、日経、ジャパンタイムスの4紙に意見広告を掲載したが、その直後には、電話、メール、ファックスで国内外から反響が届けられたが、反応の9割は「尖閣事件などで、日本は大丈夫なのかと不安を感じていたが、これだけ日本のことを真剣に考えている人たちもいるのだ、と知り、安心した」などという趣旨で、提言に賛意を表するものであった。
日本国際フォーラムの政策提言作成プロセスについて
日本国際フォーラムの副政策委員長あるいは政策委員長として、20数年にわたり、36の政策提言作成の審議に関わってきたが、近年のいくつかの政策提言の作成プロセスを見ると、主査あるいはタスクフォースが政策委員会のコンセンサス形成プロセスに対応(あるいは主導、調整)しきれず、主査と政策委員会の間で問題のとらえ方に行き違いが生じるケースが生まれてきているように観察される。その背景には、冷戦時代と異なって、ポスト冷戦時代の現在では、いろいろの問題について「共通の理解」という大枠が崩れて、発想や着想が多様化してきている、ということがあるのかもしれない。従来と同様にタスクフォースを結成し、主査の先生にすべてを任せておけば、自動的に立派な提言が出てくる、という時代ではなくなったのかもしれない。では、どうすればよいのかについては、名案はないが、しばらくは試行錯誤を続けるよりないのかもしれない。
(文責、在事務局)