国際政経懇話会

第224回国際政経懇話会
「『日中歴史共同研究』の成果と今後の課題」(メモ)

 第224回国際政経懇話会は、北岡伸一東京大学教授を講師に迎え、「『日中歴史共同研究』の成果と今後の課題」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。

1.日 時:2010年5月12日(水)正午より午後2時まで
2.場 所:日本国際フォーラム会議室
3.テーマ:「『日中歴史共同研究』の成果と今後の課題」
4.講 師:北岡 伸一  東京大学教授
5.出席者:29名

6.講師講話概要

 北岡伸一東京大学教授の講話概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、議論についてはオフレコを前提としている当懇話会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。

歴史問題と外交

 近年、日中間の歴史認識の相違が外交上の問題として再浮上しつつある。日中関係に限らず、最近の国際関係においては、各国間での「イメージ・ウォー」の主題として歴史問題が利用される傾向にある。そのような中、中国の外交官が、南京虐殺における死傷者の総数等、日中戦争当時の中国の被害の模様を誇張して世界中で発信しているなかで、日本は自国の主張を世界に向けて効果的に発信できないでいる。このような問題には、先方が何かを主張したら直ちに対応できるようなスピードが要求される。他方、日中間においてこの問題をめぐる状況には変化が見られるようになったことは注目に値する。「日中共同歴史共同研究」自体、これまで考えられなかった作業であった。また、以前には考えられなかった国民党軍の貢献への言及などにみられるように、中国側の歴史認識にも変化の兆しがみえる。いずれにせよ、長きにわたる日中関係の歴史のなかでも、日中戦争時は日中関係が最も悪化している時期であり、その期間だけに特化して日中関係の本質を決めてかかるのは偏った見方であるといえる。

日中歴史共同研究と研究活動上の諸問題

 「日中歴史共同研究」は、2000年をこえる日中関係の歴史を、①前近代、②近現代の2つの時期に分けて進められた。いずれも日中両国の視点からそれぞれ描くという「パラレル・ヒストリー」形式が採られた。研究者の顔ぶれについては、中国側の研究者10名は全て中国社会科学院所属で、実際は10名とも現近代が専門の研究者だった。そのうち6名が近代~現代、4名が前近代という形で役割分担をされていたものの、中国の歴史認識をめぐる関心がいかに現近代に特化されているかがわかる。また、中国側は本研究の成果(特に戦後の部分について)を文書の形式で公表することを躊躇した。彼らは政府機関である中国社会科学院の研究者達であり、政府の公式見解から乖離した歴史記述を発表することを危惧したためと思われる。

問題とその立脚点

 中国側は日本側が「侵略を認めた」「南京虐殺を認めた」ということを、今回の共同研究の成果として強調しているが、そもそも「日本の侵略」も「南京虐殺」はわが国の専門家にとっては自明の事実である。満州における関東軍の行動は満州鉄道を守るためというには範囲が広すぎ、その点からも日本軍の侵略行為であると言わざるをえない。他方、中国側は、たとえば「盧溝橋事件」について、従来の「日本が意図的に引き金を引いた」との理解から「偶発だったかもしれない」との理解を示すようになるなど、徐々にその認識が変化しつつある。しかし、総じていえば、歴史認識に関する日中の問題は中国側が被害について誇張しているという点にある。今回の共同研究の目的は「日本が悪い」という決定論から脱却する試みだったが、中国側研究者が若いからといって歴史認識に対して柔軟ではないという点、また、中国自体が歴史を現近代と捉えており、それ以前の史実についての研究が少ないという点が問題として残ったといわざるをえない。反日感情を助長する愛国主義的教育は若者に多大な影響を与えている。日本は、「たしかに侵略も虐殺もあった」という常識的立場に立つことによって、中国側の誇張した非科学的な主張をあぶりだし、議論において優位に立てるのである。

(文責、在事務局)