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2020-09-22 21:38

森嶋通夫氏の『マルクスの経済学』に寄せて

池尾 愛子 早稲田大学教授
 森嶋通夫氏は『マルクスの経済学』を英語で1973年に出版した。彼は1968年に大阪大学を辞して、イギリスに移民した。私は1990年夏にロンドンで彼から聴き取り調査を実施した。一般均衡論研究について色々と伺ったほか、上記の書物についても尋ねると、それはエッセクス大学の講義から生まれたとのことであった。1968年の秋学期には経済学部と数学部が共同スポンサーとなって、彼を客員教授として採用したのであった。そして経済学部から「マルクス経済学を講義してほしい」と依頼を受けたので、マルクス『資本論』(英訳)と数学を結び付けて「数理マルクス経済学」の講義をするに至ったとのことであった。

 同書の和訳は1974年に一橋大学のグループによって出版されている。私はその舞台裏について話を少し聞いている。「マルクス文献からの引用は、ドイツ語からの既存の和訳を使わずに、英語の引用文から直接和訳してほしい」と注文がついたとのことであった。それで、マルクス『資本論』の英訳と和訳の間に翻訳ギャップがあることが確認されたようであった。翻訳に関わったグループ以外の教授からも、翻訳ギャップのことを聞いていた。日本では大学によってマルクス経済学の様子が異なることも聞いた。専門外なので、私自身が初めて翻訳ギャップを確かめたのは1990年代末で、図書館の片隅で英訳『資本論』第1巻に目を通して少し確認するのが精いっぱいであった。しかし現在では「Marx Capital」でウェブ検索をかければ全3巻の英訳がPDFなどで入手可能である。

 『資本論』英訳は、「value equation 価値方程式」や「reproduction equation 再生産方程式」の数学的用語を用いていて、数学的再構成につながりやすいといえる。しかし遡れば、本e論壇に2020年8月27日に「一般均衡分析の多様性」と題して簡単に書いたように、「マルクス経済学の数学化」を開始したのはベルリン大学のラディスラウス・フォン・ボルトケヴィッチであり、彼から学んだワシリー・レオンチェフがアメリカにそのまま持ち込んだといえるようだ。二人ともドイツ語原典を読んで研究を進めたことであろう。『資本論』英訳には彼らの研究が反映されているのかもしれない。翻訳ギャップがあることは、労働価値と価格に関するいわゆる転形問題に取り組む研究者には周知の事であろう。レオンチェフはフランス語も読め、ケネー、マルクス、ボルトケヴィッチ、と投入産出経済学につながる経済学史を、ボストンやニューヨークでの講義に盛り込むことがあったようだ。
 
 驚いたことに、『資本論』の翻訳ギャップを知らないマルクス経済学者がまだいることについ最近気づいた。実をいうと2001年頃、英語圏の研究者から、「日本のマルクス経済学者は英語のマルクス経済学を読んで、マルクス経済学の英語を勉強するべきである。英語圏のマルクス経済学者たちは(主流派経済学者や)働く人々が読めるように平易な英語で書いている。平易な英語で書かれたマルクス経済学文献を読まないということは、英語を勉強する気がないということだ」と聞かされていた。当時から私には異論はない。最近になって、私は英語圏の友人たちの指摘に同感するようになっている。日本のマルクス経済学についての論文を英語で書く時にも、マルクス経済学の英語を勉強して、翻訳・解釈ギャップがあることを明記した上で書くべきである。そうでなければ、マルクス経済学を英語で読む人たちと研究交流することは不可能であり、非マルクス経済学者の目にも「英語が変だ」と映ると思う。マルクス経済学の学会や、マルクス経済学者を育成している大学院で、英語圏のマルクス経済学文献を読むなど(あるいは、主流派経済学の英語文献を読むか--主流派経済学者でも普通の経済学史家でも英語のマルクス経済学文献を読むことはできる)して対策を打ち、また必要に応じて英語圏や独語圏のマルクス経済学者たちと直接話合いをしていただきたいと思う。
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