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2020-08-30 09:33

ジョン・フォン・ノイマンと日本

池尾 愛子 早稲田大学教授
 ニュージーランドのアラン・ボラードの『戦時の経済学者達』(2020年)は、歴史家たちの専門的研究成果を駆使することによって、4人のエコノミスト、3人の数理経済学者・数学者の繋がりを描き出した書物となっている。読み易いダイナミックな歴史物語になっていて、若手政治学者の関心を引くようである。前半は高橋是清、中華民国の孔祥熙(H. H. Kung)、イギリスのケインズ、ドイツのシャハトが中心で戦時金融と留学・出張旅行で結び付けられる。後半は数学と数理経済学の仕事に携わったカントロヴィッチ、レオンチェフ、フォン・ノイマンが主役である。
 
 ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)については、ノーマン・マクレイ著『ジョン・フォン・ノイマン』(英文、1992年、邦題『フォン・ノイマンの生涯』)にほとんど頼っている。マクレイの伝記の副題は、「現代コンピュータ、ゲーム論、核抑止、そして他の多くの分野で先駆的に貢献した科学の天才」である。「他の多くの分野」に、マンハッタン・プロジェクト(以下、Mプロジェクト)や気象学が含まれる。英語での書評(多数ある)を少し眺めると、これがフォン・ノイマンのMプロジェクトへの参加を紹介した最初の書物になるようだ。戦後、亡くなる直前まで核抑止研究に携わったので、関連資料の公開開始が30年後であれば、それは1987年のことになる。著者は他の2人の未完成の伝記草稿と資料、関係者からの聞取り、米議会図書館の資料等を用いて、アメリカ数学会から伝記を公刊した。
 
 著者マクレイは『ロンドン・エコノミスト』誌の副編集長時代、アメリカでの日本研究の展開に照らしてのことと思われるが、現地を2週間ほど訪れて観光しながら冒険的体験を積みつつ聞取り調査を敢行して、日本特集を3回組んだことがあった。いずれも『驚くべき日本:日本経済調査報告』(1963年)、『それでも日本は進む:驚くべき日本その後』(1965年)、『日本[日]は昇った:日本経済七つのカギ』(1967年)と題して、和訳が刊行されている。
 
 著者の経験はまず、伝記においてノイマンの受けた教育を印象深く描き出すのに役立ったと思う。戦後日本が平等な普通教育を子供たちに授けていたのと対照的に、ノイマンは1903年にハンガリーの首都ブダペストの中流(あるいは上流)家庭に生れ、父や家庭教師たちから英才教育を授けられて育てられ、ギムナジウムに入学して神童ぶりを発揮するようになる。ユダヤ人家庭であったがラテン語教育も受けていたことが興味をひく。後にカソリックに2度改宗する。同書は天才の成長過程と活躍ぶりを形式ばらない言葉で描き出している。
 
 次に、Mプロジェクトへの参加を詳細に紹介する時にも、日本についての地理感覚が生かされ、日本に対する同情が語られ、戦後日本の復興が念頭におかれたと思われる。Mプロジェクトの産物がチームワークの成果であったことが強調されるが、この伝記で初めてノイマンの関与が明らかにされたので、彼の姿が大映しになっていて読者に大きな衝撃を与えたようである。ノイマンは爆弾投下の標的候補地点の選択の議論にも関わっており、著者は標的候補の特徴を含めた議論の様子を詳細に正確に説明できただろうと思う。標的候補の最終絞り込みに2-3ヶ月を費やしたことがわかるが、当時在米中の朝河貫一(イェール大学)などの働きかけもあったはずなので、書かれなかった事実もかなりあることが改めて伺える。ノイマンにとって、日本の降伏で戦争は終わりではなく、恐怖を抱いてずっとその先の敵を見すえていて、新たな「戦争」――冷戦――の敵を見通していたことが描かれている。
 
 私自身の経済学史研究(A History of Economic Science in Japan 等)で、ノイマンにも触れたのであるが、マクレイ著『ジョン・フォン・ノイマン』は使っていない。正確にいえば「使えない」のである。同書を手に取って、まず、1940-1年のプリンストン大学でのノイマンの活動について調べてみると、著者は当時の講義計画やその準備過程の書類を見ていたことまでわかるのであるが、肝心の講義計画や次の2つのセミナーについて書いていないのである。1940年10月からノイマンは数学セミナーを実施し、角谷静夫が出席していてブラウアの不動点定理の拡張について報告した(『デューク数学雑誌』に掲載される論文)。1941年10月から、ノイマンはモルゲンシュテルンとともにゲーム論セミナーを実施し、角谷とA.W.タッカーが出席していた。今このノイマン伝を読み返すと、角谷の出席したセミナーについて意図的に書かなかったのではないかと感じられる。
 
 次に同書では、2つ目のセミナーの成果物であるノイマンとモルゲンシュテルンの共著『ゲームの理論と経済行動』(1944年)におけるゲーム理論がいわゆる非協調ゲームであるかのように書いているくだりがある。以前読んだ時には、大急ぎで『ゲームの理論と経済行動』を読み返して、全編で協調ゲームを扱っていることを確認したという記憶が蘇ってくる。ゲーム理論がアメリカで協調型から非協調型に転換してゆくのは1950年頃で、ジョン・ナッシュの一連の論文が契機になったといえる。間違った学術史の叙述が残されたのはゲーム論専門家が誰も指摘しなかったからなのか、あるいは読者の知識を試すためだったのであろうか――それは両方かも知れない。
 
 戦時中、世に流れるプロパガンダに用いられた以上の情報や意図をもって、移民(亡命)科学者たちは各プロジェクトに参加するように説得されたことであろう。ノイマンの集中力は特に物凄くて、常に幾つかの仕事を掛け持ちしてこなしていた。1940-1年、角谷静夫はプリンストン大学でのノイマン・セミナーを楽しんだ。戦後、二階堂副包が数学論文2編を送ったところ、ノイマンから返事と助言を受け取って感動した。こうした内容は学術的会議で発表している。「日本国を敵とみなしても、日本人個人に対してはそうではなかったんですね」という感想を2人くらいから聞かされている。以前に比べてプロパガンダの状況は一般に明らかにされるようになってきていると思う。それでも非公開だった資料を使った研究の評価、またそうした研究成果を使った書物の評価は慎重に行う必要があると思う。
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