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2020-08-27 23:09

一般均衡分析の多様性

池尾 愛子 早稲田大学教授
 数学を使った一般均衡分析はローザンヌのワルラスによって、1870年代にフランス語で開始されたとしても、普及に貢献したのはスウェーデンのヴィクセルやカッセルで、彼らのドイツ語文献によってであった。ウィーンで学んだシュンペーターも『理論経済学の本質と主要内容』(ドイツ語、1908年)などで、ワルラスなどフランス経済学を絶賛していた。英語での普及は、ヒックスの『価値と資本』(1939年)になるが、補論に数学註がおかれたのであった。
 
 日本語で数学を使った議論を補論に回して、本文では言葉のみで抽象的に説明したのは、中山伊知郎の『純粋経済学』(1933年)であった。中山の著作や論文をまず読んで、日本の数理経済学者たちは育っていったといってよい。日本で数学を使わずに一般均衡分析的議論を展開したのは、天野為之だったようである。イギリスのジョン・ネヴィル・ケインズの『経済学の範囲と方法』(1891年)での一般均衡分析の解説に刺激を受け、天野は『東洋経済新報』の編集者として活躍した時期に、貿易問題を考察するのに用いたのである。当時、日本は貿易赤字を抱え続けていて、輸出を伸ばして赤字を減らすことが課題となっていた。折しも1911年に関税自主権を完全に回復することになっていて、20-30パーセントの輸入関税をかけることが議論され始めていた。天野は素材や工業原料に関税をかけることは、まず工場や機械の費用を高め、そして工業製品の価格を上げるので輸出の増加につながらないと、猛反対したのである。彼は食料の輸入に関税をかけることは、貧困者の苦痛につながると反対した。(ネヴィル・ケインズは、一般均衡分析とマーシャルを結び付けた。確かにマーシャルは一般経済均衡をイメージしたうえで、「他の事情にして一定ならば」と想定して、部分均衡分析を駆使していた。)
 
 1920-30年代、社会主義国で経済運営が進められていた。ニュージーランドのアラン・ボラードの『戦時の経済学者達』(2020年)を読むと、計画経済運営面での経済学のイメージを英語で形成するのに貢献したのは、ソ連のカントロヴィッチ、ベルリン大学で学びロシアからアメリカに移住したレオンチェフ、ロンドンで学びアメリカの大学で教鞭をとったのちポーランドに戻ったランゲであったということになる。カントロヴィッチはスターリン時代に、西側の数学者や数理経済学者に先駆けて、数理計画法を特定の工業生産や、部分的な経済計画の作成に用い始めた。ソ連でそれらは実行に移され、適用範囲は拡大されてゆき、「ソ連では計画経済が運営されていた」とのイメージを定着させた。カントロヴィッチなくしてソ連型計画経済を語れないほど、彼の貢献は絶大であった。同様の研究を進めていたクープマンス(オランダ出身)たちが西側に積極的に紹介したおかげで、カントロヴィッチは1975年にクープマンスと共にノーベル経済学賞を受賞した。
 
 レオンチェフは1930年代から投入産出分析や産業連関分析を開発してアメリカで活躍しながらも、戦後もソ連経済に関心を持ち続けていたとされる。レオンチェフの創源は、フランスのケネーの経済表(部門間のフローチャート――マッピングあるいは写像――により経済の均衡を把握する)で、マルクスの再生産表式分析(『資本論』第2巻)、ボルトケヴィッチの数学定理を経て、投入産出分析に完結した。上記のボラードはそれがさらにソ連の計画経済につなげられていったとする。ランゲは自由主義と社会主義の間で揺れたのであるが、社会主義経済にこそ一般均衡分析は不可欠であり、計画経済を立案・運営する際に利用できるとした。計画経済では需要を所与とする(革新があっても需要の変化が読めない)ことが重大な欠点であるとされたが、オーストリア出身のハイエクたちとの論争においても、ランゲはコンピュータの性能が向上すればこの問題は解決しうると社会主義経済の優位性について譲らなかったのである。ヨーロッパ大陸出身の経済学者たちの間では、一般均衡分析と社会主義計画経済(指令経済)が結びつけられてきた。最近読んだカナダ人研究者の一文でも、一般均衡分析とマルクス経済学が明確に結びつけられていた。
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