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2019-11-28 23:44

アダム・スミスと参考文献

池尾 愛子 早稲田大学教授
 アダム・スミスの『国富論』(初版1776年)を読むと、既に刊行されている文献を彼がかなり読破していたことに気づくであろう。それと同時に専門家たちは、スミスが参考にした二次文献について書名や著者名を記載しなかったことにも気づいている。比較的わかりやすい例は、フランスの重農主義についての文献である。スミスは、フランス重農主義にふれたものの、フランソワ・ケネーには言及しなかった。スミスが重農主義について書かれた文献を読んだのは確実だが、スミスはその書名も著者名も記さなかったのである。またケネーの『経済表』(1758年頃)は、もしスミスがフランス語を読めたならば小躍りして読んだはずの本である。それにもかかわらず、ケネーについて何も書かなかったこともあり、スミスはフランス語が出来なかったと考えられている。
 
 『国富論』の第1編第1章「分業について」では、分業の例として、ピン工場にまつわる事例が紹介されている。日本人研究者のなかにも、『国富論』のピン工場の話が、フランスの百科全書のエントリー「ピン工場」に酷似していることに気づいている人たちがいる。水田洋氏と杉山忠平氏の和訳では当初、その旨が訳注として記載されていたと聞いたのであるが、今年購入した版にはそうした注はついていない。スミスがフランス語を読めなかったので、削除されたのかもしれない。
 
 本e論壇に「『国富論』研究のために」(2019年11月5日)と題して投稿したように、1990年代、ある日本人研究者から内外で『国富論』の読み方が違うので、その原因を見つけてほしいと依頼された。それである国際会議で、「日本では『国富論』のピン工場の分業の話をよく引くけれど、西洋の研究者たちがほとんど言及しないのは、なぜですか」と、スミスについて発表したイギリス人研究者に直接尋ねた。すると、「オランダの百科全書にあるエントリー[ピン工場]から、スミスが無断で借用したからです」との主旨の返答を受けた(このことは、2019年3月のある学会の関東部会で紹介した)。それから1~2年後、さらにあるオランダ人研究者からより詳しい説明を直接受けた。私の問いかけは、西洋人研究者たちの間にすぐに広がったようである。日本人研究者たちに伝わっていないはずはないと思う。
 
 スミス以降のイギリスの経済学文献を幾らか読めば、スミスの「ピン工場」や分業の話が出てこないことに気づく(はずである)。それゆえ、私自身も疑問には思っていた。上のイギリス人研究者から、「スミスが描写したようなピン工場はイギリスには存在しませんでした。ただ分業はどこにおいても観察されました」という主旨の説明を受けてなるほどと思った。しかし私は、「ピン工場の話が借り物だとすると、スミスは職人(artisans)の活動を具体的には全く論じていないではないですか」と切り返した。すると彼曰く、「スミスが使った用語は、artisans ではなく、artificers で武器を作る人たちのことです。武器職人についてはあなたの国の文献でも明記しないでしょう」と反論された。スミス以降のイギリス経済学文献には、製造業の具合的な描写はほとんど出てこないと思う(もちろん商業読本の類には登場する)。日本の二宮尊徳の文献においても、新田を開墾する頑丈な唐鍬は(手品の如く)現れて必要な人に手渡されても、(鍛冶屋による)唐鍬の製造風景の描写はないのである。
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