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2010-06-29 18:51

(連載)パラレル・ヒストリーの薦め(2)

池尾 愛子  早稲田大学教授
 もちろん、EUの展開は素晴らしい。1993年のマーストリヒト条約の発効により、EUが正式に発足した頃、ヨーロッパの経済学者や社会科学者の世界には大きな変動のうねりが起こっていた。比較的若手の研究者たちが集う国際会議が開催される一方で、各国の既存諸学会のつながりを生かす形での欧州横断的学会も誕生した。私が国際会議で同席する研究者のタイプは限られている。経済分析や政策分析の発表を聴くこともあり、経済史・経済学史の専門家と交流することもある。今振り返ると、1990年代の国際会議では、国際化志向の研究者たちと出会っていた。しかし、21世紀になってから、会議のテーマによっては、欧州中心主義史観を頑なに主張する研究者たちとも同席するようになり、私だけではなく他のヨーロッパ人も辟易することが起るようになった。

 ヨーロッパの伝統を誇りに思う人たちは以前からいたけれど、金融経済危機の最中に、欧州思想の雑誌への投稿依頼が金融学者と称するギリシャ人から届くことには、驚きを禁じえない。また今年、ある事典プロジェクトの項目の執筆依頼を受けたとき、イマニュエル・カントの哲学の影響を含めて、欧州思想の伝統に添う形で執筆することとの条件が提示された。科学史家ラカトシュがカントを読んでいたためのようなのだが、私は欧州思想を専門とはしていないので、即座にお断りした。さらに今月、日本で参加した経済史系学会において、ヨーロッパの関連学会では欧州中心史観が支配的であると聞かされた。代替案とすべく、グローバル・ヒストリーを提示しようとして研究発表すると、「それは日本中心史観である」と論評されたとの事であった。となると、ここでもパラレル・ヒストリーについて合意を形成するしかないのではないか。

 パラレル・ヒストリーとは、日中歴史共同研究において、超長期の合意や和解のためには、まず共通のテーブルに着くことが必要であるとして、採用された積極的な手法である。共同研究の報告書は、外務省のウェブサイト(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html)で公開され、経緯は(廃刊になった)『外交フォーラム』(2010年4月号、2007年5月号)において、日本側座長の北岡伸一氏によって解説されている。「同意できないことがあることに同意する」、「共通認識に至らない部分があることを共通認識にする」ことが重要なのである。そして、日中のパラレル・ヒストリーが描かれたのであった。それでも日中間では合意できることが多いことにも、注目すべきであろう。では、ヨーロッパと日本ではどうであろう。EU創設の疾風怒涛を経て、ヨーロッパの歴史家たちの一部は、標準史をヨーロッパに手繰り寄せて、描こうとしているのであろうか。強烈な欧州中心史観が露骨に出てきてはいないだろうか。欧州中心史観も解説する私の場合、聡明な学生の中には、私が日本中心史観の持ち主であることを見抜いている者もいるので、私としては今さら隠す必要もない。

 ヨーロッパをベースに研究を進めることを謳っている学会に、日本中心史観の持ち主が無理をして関わる必要はない。私の場合、ヨーロッパ人たちから何か提案されても、協力できないことは、はっきり断わればよいし、ヨーロッパ人たちに直接伝えれば、誤解も起らない。アメリカとヨーロッパの間では、ヨーロッパと日本の間よりも、歴史上の共通点は多いであろう。それでも、アメリカの歴史家たちは、アメリカ中心の歴史を描くことをずいぶん以前から決意しているようで、パラレル・ヒストリーの動きは、既に始まっている。アメリカ滞在中、ヨーロッパからアメリカの学会や大学に歴史関連プロジェクトの提案がなされたとき、アメリカ人たちが神経質になりながらも、議論をして、団結して、ほとんど断っているのを目にして、彼らの決意の固さと慎重さを窺い知ったものである。最後に、ヨーロッパの歴史系学会に所属する日本人会員には、独自の解釈や研究成果、欧州中心史観に振り回されず、欧州中心史観とは異なる歴史観の提示を期待したいと思う。(おわり)
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