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2008-11-11 08:11
マスコミのセンセーショナリズムに問題あり:給付金騒ぎ
杉浦 正章
政治評論家
定額給付方式をめぐる百家争鳴を観察していたが、つくづくマスコミはどうしてこうせっかちなのかと思う。我田引水的な世論調査までやって批判し、驚くべきことに朝日新聞に至っては、11日の社説で「今からでも遅くない。断念せよ」とまで言い出している。あまりにも性急だ。庶民は確実に「断念されては、困る」と思っている。首相・麻生太郎が「所得制限は設けない」方針を決断して方向が定まったが、マスコミは騒ぎすぎだ。政府は富裕層に対しては、給付金の社会福祉事業などへの善意の寄付の道を開き、受け付けるべきだ。まず、朝日がわざわざトップで報じた世論調査だが、からくりがある。朝日の「必要と思う」26%、「そうは思わない」63%、共同通信の「評価しない」58・1%、「評価する」31・4%、NHKの「評価」38%、「評価せず」57%だが、この結果を見ると、日本人は「武士は食わねど高楊枝」かと思えるが、そうではない。設問が問題なのだ。
各社とも「政策としての妥当性」を聞いている。過去の例でも、この種の減税や給付は貯金に回る国民性が証明されており、経済的な波及効果は疑問視されるところだ。従って政策を問えば、批判的になるのは正常な世論形成だ。これを「給付金が欲しいか、欲しくないか」と聞けば「欲しくない」と答えるのはよほどの変わり者だろう。99%「欲しい」と答える。問題の本質をねじ曲げる設問をしてはいけない。朝日は社説でこれを金科玉条として、「断念せよ」と迫っているが、物価上昇は著しいものがあり、景気後退も深刻だ。業界でも高給で有名な「新聞貴族」や「民放豪族」には、10円でも安い買い物に血眼になる庶民の本当の痛みは分かるまい。興味深いのは、朝日がトップ記事の見出しを早版で「給付金『必要ない』63%」とやっていたのを、最終版で「給付金『不要な政策』63%」に差し替えた点だ。「必要ない」とねじ曲げるのは、さすがに気が引けたか、良心の呵責があったか、業界も長いと、見出しを見ただけで編集者の心理が分かる。
一週間の迷走の発端は経済財政相・与謝野馨が2日のNHKで「生活支援にふさわしい全所帯に配布するのが正しい。2千万も3千万ももらっている人に生活支援はおかしい」と述べたのがきっかけだ。これは大事になると思ったが案の定だ。与謝野は同じ知性派でも、宮沢喜一と違って政治の読みが深くない。宮沢はもっと政治的だった。与謝野発言に乗りかけた麻生も麻生だが、無理と悟ってかじを所得制限なしに踏み切った。閣僚の発言なども迷走に輪をかけた。新聞は、迷走ぶりをクローズアップするし、民放はこれに輪をかけた批判をする。勝ち誇ったようにテレビ朝日の報道ステーションは、10日「世論がこれほど反対だと、民主党も反対できる」(一色清朝日新聞編集委員)と、野党を露骨にけしかけた。もともと、自分のばらまき構想を麻生に先取りされてほぞをかんでいた民主党代表・小沢一郎は、「首相は現実の政治、行政をご存じでない。自分自身のきちんとした考え方がなく、ぶらぶらしている」と批判、幹事長・鳩山由紀夫は早くも「内閣の末期症状」と宣言するという始末だ。
しかし同じNHKの世論調査で麻生内閣支持率が3ポイント上昇して49%となったのをどう考えるか。給付金も含めて庶民が内心歓迎している証拠ではないか。マスコミを見て動くことを「仕事」と思っている民主党はともかくとして、事の本質は、マスコミのセンセーショナリズムにある。政治家の片言隻句を取り上げて、勝手に状況を作り上げてゆく。米国のマスコミを観察すれば分かることだが、もっと大人だ。結論を待つ。野党をけしかけるような発言は矜持が許さないし、軽蔑される。少しは見習ったらどうか。確かに富裕層への給付金には抵抗があるが、しかし米国でも国民に差別をつけた給付はしていない。政府はこの際、国会議員はもちろんのこと、地方政治家や富裕層への給付金を寄付として受け付け、弱者救済に使う道を開くべきだ。富裕層の善意を信じて窓口を作ったらよい。小生も富裕層ではないが、幾ばくかを寄付する用意がある。
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