ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2008-08-26 08:23
とても「全員国民栄誉賞」は無理
杉浦正章
政治評論家
誰でも思うことだろうが、首相・福田康夫の「全員国民栄誉賞ものだ」という発言は、それでは「星野ジャパンや反町ジャパンやマラソンもそれに値するのか」ということになる。福田は甘い。今回のオリンピックほど「戦う意識・気迫」の希薄な日本を見せつけられたケースは稀だ。政界や社会と同じで、日本の閉塞感を象徴しているような結果ではないか。星野仙一は敗退の弁で「オリンピックは強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ」と述べた。恐らく徹夜で考えた弁明だろうが、韓国、キューバ、米国に完膚無きまでに敗れた敗軍の将の言葉にしては、いささか増長気味だ。対韓国戦を見ても、星野ジャパンは、監督の采配でも、選手の身体能力でも、気力でも、すべての面で、明らかに韓国に劣っていた。
むしろ日本の野球選手は「強い者」という星野のおごりが、強化合宿もろくろくせずに、自分たちだけ高級ホテルに泊まって、選手村に入らず、結果として特権意識を選手団にもたせ、「お坊ちゃま野球」の醜態をさらしたのだ。「顔を洗って、出直せ」と言いたい。反町ジャパンにしても、優秀な選手だけ集めればすむものでもあるまい。3試合でゴールがたったの一つでは、どうしようもない。柔道も、谷亮子は過去の功績からみても、北島康介と並ぶ国民栄誉賞候補には違いないが、「ママでも金」のキャッチフレーズが先行して、日本柔道連盟が谷亮子の体力的限界を掌握出来なかったことに原因がある。谷を鮮やかに破っておきながら、オリンピック選手に選ばれなかった選手が、どんな思いで谷の不調を見ていただろうか。
ずっこけぶりがひどいのは、男女のマラソンだ。競技直前で欠場などという、あってはならない醜態をみせた。メダルの数では過去の水準から言ってまあまあの結果だったが、一部選手を除いてやる気があるのかという試合が目立った。とても「全員が国民栄誉賞」などと誉めあげられるものではない。もちろん精神力だけでオリンピックに勝てるものでもない。日本選手団団長・福田富昭が嘆いているように、「JOCの予算は4年間で100億円だが、イギリスの470億円の4分の1以下だ」では、満足な選手育成もできまい。政府は強化策を打ち出すべきだ。最近萎えがちな国民の気力を奮い立たせる経費と思えば、安いものではないか。
それにしても中国の金メダル数51個は、米国の金メダル数36個を大きく上回った。国家権力、財力がスポーツの世界に入り込むと、何でもできることを裏付けた。これは1933年のベルリン・オリンピックを想起させる。ベルリン大会はヒトラーのオリンピックであり、 ヒトラーはオリンピックを、「ドイツ民族の優秀性」と自分自身の権力の偉大さを世界中に見せつける絶好の機会と位置づけた。大会はヒトラーの思惑通りに進められ、金メダルはドイツ33個、アメリカ24個と米国を上回った。オリンピックで中国国民が自信を回復して元気づくのはご同慶の至りだが、中国の外交・内政がこれで“舞い上がる”のはいただけない。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:4819本
グローバル・フォーラム