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2008-07-10 08:09
サミット後の内閣改造は必至
杉浦正章
政治評論家
サミットのうたげが終わったが、首相・福田康夫の政治基盤が盤石となり、政権が浮揚し、政局運営に展望が開けるかというと、それはない。内政の泥沼に福田がはまった構図は、そのままだからだ。うたげの華やかさが、首相にカンフル剤として作用して、政局運営は若干強気に転ずるかもしれない。それが内閣改造、解散・総選挙へと向かわせるのだろう。サミットの国内政治上の唯一の成果は、危惧(きぐ)された「サミット花道論」が、首相の側からも、自民党内外からも消えることだろう。
読売新聞によると、自民党幹部は9日「首相は7月下旬以降、改造に踏み切るのではないか」と語ったという。「内閣改造、首相が検討に着手、政権浮揚図る」と断定的な見出しを取っていることから、相当な“筋”の情報なのだろう。福田にしてみれば、サミットは、内政の数々の“失政”から初めて国民の目を自分自身に向けさせることができた、という効果を感じさせるものだったのだろう。確かに目立った失敗もなく、得意の外交分野で自分自身に高揚感をもたらすことのできる結果となった、と言ってもおかしくはあるまい。もっともシェルパの周到な準備の上に乗っていれば、まず失敗しないのが常だろうが。
内閣支持率も数%は回復するだろうが、劇的に上昇に転ずることは、夢のまた夢だ。国民の関心は何と言っても、年金、医療、物価などの生活関連事項だろう。ここにメスを入れられなければ、構図は変わらない。だが、首相自身が自信を取り戻して、政権運営に当たるきっかけになることは間違いない。通常〝サミット初心者〟の首相は、サミットというと不必要に高揚しがちで、国民が醒めていることに気づかない。サミットの年には、過去4回とも総選挙が行われている。この高揚感が選挙に踏み切らせるのだ。2000年の森喜朗の場合は、サミットの1カ月前だから除外するとして、79年の大平正芳、86年の中曽根康弘、93年の宮沢喜一が、それぞれサミット後に総選挙に踏み切った。ところが大平、宮沢は惨敗。中曽根だけが304議席取って圧勝したが、中曽根の圧勝は「死んだふり解散」という機略に加えて、衆参同日選挙がプラスに作用した。サミットの効果はほとんどない。
しかし、福田にしてみれば、元首相・小泉純一郎が指摘するように、改造をすれば自らの手で解散する意思表示となるわけで、決断は重要な選択となる。日程は詰まっており、早期に決断せざるを得ないだろう。改造しないという決断は、サミットで生じたわずかな“浮揚感のごときもの”をみすみす取り逃がし、自ら“じり貧路線”を選択することになる。普通の政治家ならこの場面では改造によって、内政上の行きづまり打開に動くだろう。ここは自前の内閣を作り直し、臨時国会に備えるべき時であることは言うまでもない。自民党内には「改造でつまずく恐れがある」というピント外れの懸念があるが、歴代首相がそれによって改造を断念したという例はない。改造という政治決断は、優れて首相の自己責任において行われるのだ。
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