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2008-03-25 10:07
怒りを忘れた三流の大国
岩國哲人
衆議院議員
年号が「平成」とあらたまったその年の四月に出雲市長に就任し、私は三十年間の経済の世界から地方政治の世界に初めて入り、日本の原点とも言える出雲の地から日本を、そして世界を見直す機会を与えられました。細川護熙熊本県知事と共著で『雛の論理』を上梓したのもこの頃でした。中央が変わらない、変われないなら、地方から変えていこう。そういう熱い思いが二人の胸にはあったのです。
その熱い思いを抱いて国政に入り、『日本海新聞』に「一月三舟」という表題で連載を始めて、山陰の皆さんだけでなく、『大阪日日新聞』の紙上で大阪の皆さんにも、そしてホームページ、メールマガジン、その他の方法で国会議員、東京・横浜の有権者の方々にも読んでいただくことになり、この十二年間書き続けてきました。国会の中での激しい議論をご紹介することも度々でした。日本はなぜ変われないのか、日本の政治はなぜ進歩しないのか、「政治は三流」という評価をいつまでも大切にし続けるのはなぜでしょうか。政治が「三流」であり続けることが、三流の人たちに安住の地を保障する「安全地帯」として必要なのでしょうか。二世・三世・四世の人たちに、いつまでも「安全地帯」や「安住の地」を提供し続けることが日本の美徳であり、「美しい国」であると考えている人が多いのでしょうか。
「ねじれ国会」が話題となっています。衆議院も参議院も自民党が多数を占めて、どんな法案でも衆議院や参議院をスイスイと通過するのに慣れすぎていた時代が終わったのです。自動車に例えれば、ブレーキをはずして、もう一つアクセルをつけ加えて、アクセルが二つ、ブレーキ無しという日本製の車はとてもよく走りました。走り続けるだけで、止って進路を考え直す、地図を見直すということが全くできない、そういう欠陥車に乗ってきたのだということもも初めて分かったのです。ねじれていない国会の時代には見えなかったもの、隠されていたことも、「ねじれ国会」となって次々に見えるようになりました。防衛省の汚職や勤務体制のゆるみ、国土交通省を中心とする税金のムダづかいや計画のいい加減さ、厚生省や社会保険庁の無責任な仕事で、払ったはずの年金が消えたままに姿を見せない。
国を愛する心を教育するのが大切だからと教育基本法を作っても、愛する国が目の前になければ教育のしようもありません。「喜怒哀楽」という言葉がありますが、日本人は「怒」の心を完全に失いつつある国民です。外国の雑誌の表紙で、日本の名前のJAPANを「JAPAIN」(痛み)などといたずら書きをされて茶化されても、日本政府は怒りを表明しませんでした。国民も国民なら、それにふさわしく国も国です。国も国民も怒りを忘れて、その日ぐらし・・・。大きいもの、強いものには従っていればいい。自立など考えず、地方は中央にぶら下がっていれば、安全。アタマもアシも使わなければ無病息災、家内安全・・・。こういう気風が官にも民にも蔓延しているのが、今の日本病です。こういう恥ずかしい日本を変えてみたい、凛とした日本、世界から尊敬される日本でありたい。私はまだその夢を捨てきれないのです。
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