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2008-01-25 10:50
JICAと危機管理の34年
西川恵
ジャーナリスト
日本の開発援助機関である国際協力機構(JICA)が創設されて今年で34年になるが、現地で技術指導など援助の仕事に携わっていて亡くなった人が217人いることを知っている人は少ないのではないだろうか。JICAは海外に駐在職員のほか、青年海外協力隊(20歳から39歳)、シニア海外ボランティア(40歳から69歳)、専門家を派遣しているが、217人は病気や事故、事件に巻き込まれて亡くなった。内訳は病死100人、事故88人、事件10人などだ。半数は病死だが、最近では昨年9月、チュニジアで観光をしていたJICAチュニス事務所のシニア海外ボランティアと、北京事務所職員の2人が、乗っていた車が横転して亡くなった。一昨年11月には、モンゴル公共放送の番組製作の指導で派遣されていた69歳のシニア海外ボランティアが、盗みに入った男に殺害されている。
現在、JICA全体で4000人近い人が途上国や第三世界に派遣されている。都会から離れた地方が中心だから生活・治安・衛生環境は決していいとは言えず、リスクを極力減らすためさまざまな対策がとられている。派遣前の研修(約2カ月)、着任時のオリエンテーション、警備会社による派遣者の住居の定期巡回、ドアや窓の補強。また世界40数カ所の拠点には日本人看護士を置き、派遣先からの健康相談に乗る。日本の本部には非常勤医師14人が常時待機し、セカンド・オピニョンを与える。いざという時には定期航空便を待たずにチャーター機を飛ばす。こうした二重、三重の対策は、217人の尊い犠牲から教訓を汲み取ってきた結果である。
つまりJICAの歴史は、危機管理システム構築の歴史でもあるのだが、特に2つの大きな教訓があった。1つは1991年、ペルーに農業技術指導で派遣していた専門家3人が極左テロ組織に射殺された事件。2つ目は1999年、中央アジアのキルギスで日本人鉱山技師4人がイスラム武装勢力に拉致された事件(約2カ月後に無事解放)である。91年の事件は、日系のフジモリ政権(当時)に反対する極左テロ組織が日本人を狙い撃ちしたもので、「いい仕事をしていれば感謝される」という日本人の素朴な援助観を根底から揺すぶった。キルギスの事件では、同じ地域に入っていた米国の技術者が、本国の危険情報に基づき退避していた。これに対し日本の外務省は何の警告も出しておらず、外務省情報に頼っていたJICAはなす術もなかった。これを教訓に、JICAは91年に安全対策室、99年に安全情報室を設置し、独自の地域情報収集・分析と危機管理体制を構築した。現在では外務省の渡航情報とは別に、独自に地域治安情報を出している。
緒方貞子理事長の下でJICAは平和構築、復興支援へと領域を広げ、危機管理の重要性はさらに増している。例えばJICA職員は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と提携し、タイのジャングルで実地の危機管理や、自分で自分の身を守るノウハウの講習を受けている。アフガニスタンとパレスチナには防弾車を配備している。人間中心の開発援助は、夢だけではないのである。
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