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2024-02-25 11:29
トランプ前大統領のNATO撤退論を考える
倉西 雅子
政治学者
大手マスメディアは、アメリカのオバマ元大統領については常に好意的な記事を書く傾向にあります。先日も、最もIQの高い大統領として持て囃す記事もあったのですが、同大統領に対する異様に高い評価は、ノーベル平和賞の選考と同様に、核廃絶という一つの物差しで測った結果なのかもしれません。核兵器=絶対悪という固定概念あってこその受賞なのですが、核の抑止力が冷戦期にあって第三次世界大戦を防いだとすれば、全く逆の評価もあり得ます(物事の評価には、‘物差し’そのものが間違っているケースも・・・)。一面からの評価は、必ずしも全ての人々を納得させるわけではないのです。オバマ元大統領に対する賞賛を過大評価ではないかと疑うもう一つの理由は、先ずもって‘世界の警察官’を止めたことにありましょう。何故ならば、この‘辞職’は、アメリカ合衆国一国の問題に留まらず、常任理事国に‘世界の警察官’の役割を期待した国連の安全保障体制を根底から崩すと共に、NPT体制をなお一層不条理なものとしたからです。
そもそも、核廃絶と世界の警察官の辞任は、矛盾しています。警察官が不在となれば、市民は自衛せざるを得なくなるのですから、自らの身を守るために武器を所持しなければならなくなるからです。今日の国際社会の現実、少なくとも、表向きの現実は、国連発足当初から‘世界の警察官’の職に付くこともなく暴力国家化したソ連(ロシア)や軍事大国化の道を選んだ中国といった職務放棄の常任理事国、並びに、イスラエルや北朝鮮などの暴力主義国家にして核保有国が、核を背景に国際社会において幅を利かせています。多くの非核兵器国が核保有国の暴力に晒されている中、警察官がいなくなるのですから、各国とも自国の安全を護るために核保有を求めるのは当然の成り行きとなるはずなのです。自らは警察官を辞しながら、他の諸国に対して武器の携帯を許そうとしないオバマ元大統領は、偽善者と見なされても致し方ないのです。しかも、オバマ元大統領は、自ら警察の職を辞しても、なおも拳銃を手放そうともしませんでした。国内の警察組織にあっても、警察官は、職を辞すに際して携帯していた拳銃を置いて去って行きます。警察を辞めてもなお拳銃を所持していれば、日本国のように銃刀法が存在する国では、即、逮捕されることでしょう。国際社会も同じであって、警官の職にない国が他の諸国に優越する特別な武器を保有することは、危険極まりないのです。公的な役割を果たす者にのみ認められていた職務上の特権は、この公職を離れると同時に失うことは、あまりにも当然のことなのです。アメリカのみならず、公的な役割を果たそうとしない常任理事国には、もはや、核を保有する特権を認める理由はどこにも見当たらないのです。
オバマ元大統領の詭弁に照らしますと、実のところ、今般、物議を醸し出しているトランプ大統領のNATO撤退論は、それが如何に過激に聞えたとしても、正直ではあります。アメリカは、‘警察官の役割を務めるつもりはないのだから、ヨーロッパのNATO諸国は、自らの身は自らで守れ’ということになるからです。目下、同発言に対しましては、ロシアの脅威を前にしてアメリカは無責任であるとする批判的な見解が多数を占めるのですが、むしろ、同発言は、盟主にして核保有国でもある軍事大国に同盟国が従属を強いられる今日の歪な国際体制を、より主権平等や内政不干渉等の原則に沿ったフラットなものに変えてゆくチャンスとなるかも知れません。そして、同方向性において鍵となるのは、やはり、NPT体制の見直しと言うことになりましょう。各国が自国を自衛せざるを得ない状況下にあっては、核兵器が最も低コストで効果的な物理的な抑止力となるからです(少なくとも、より確実にミサイルが迎撃できるシステムや指向性エネルギー兵器が実用化されるまでの間は・・・)。この観点からしますと、NPT体制下における合法的な核兵器国であるイギリス並びにフランスのみならず、全てのNATO諸国が各自核武装することとなりましょう。
国際社会には警察官がおらず、しかも、イスラエルや北朝鮮と言った非道な暴力主義国家も核兵器を保有している現実は、全ての諸国による核保有という選択肢に合理的な根拠を与えています。ロシアも、ヨーロッパ諸国の総核武装を前にしては、迂闊には軍事行動に出られないことでしょう。ウクライナに対するロシアの軍事介入の一要因として、「ブダベスト覚書」によるウクライナの核放棄が指摘されていますが、ヨーロッパ諸国は、トランプ前大統領の発言におののき、アメリカのヨーロッパへの関与継続を主張するよりも、ここは合理性に徹し、自国の安全保障の問題として核保有あるいはNPTの終了を含めた議論を開始すべきではないかと思うのです。空虚な偽善よりも、核の抑止力による平和を求めることは、果たして悪なのでしょうか。
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