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2023-07-05 12:16
形骸化するのか、法の下の平等
岡本 裕明
海外事業経営者
法の下の平等は当然でありますが、実態は必ずしもそうではないし、意図的にそうしようとすれば弊害も出てくる非常に難しい問題に我々は直面しているようです。アメリカの6月末の最高裁で大学が入学選考で黒人やヒスパニックを「特別考慮」することは違憲であると判断しました。特別考慮とは平たく言えば入学しやすくするために調整すること。アフォーマティブ アクション(積極的差別是正措置)と称され、もともとはケネディ元大統領が1961年に生み出したもので世にある差別を人為的に修正、補正し、全ての人が平等になれるようにするものです。分かりやすく言えばゴルフのハンディキャップを想像いただければよいと思います。今回、これが否定されたということは単純実力主義となります。有利なのはアジア系と白人系とされます。この判決で注目されたのは最高裁の判事9人のうち6人が保守派で3人がリベラル派であります。そして保守派全員が違憲としたのです。と言うことは最高裁判事構成が思想的に平等ではないわけでバイデン大統領が「お怒り」になるのはその点を指しているわけです。
フランスの暴動。6月27日に車の停止の指示に従わなかった北アフリカ系の17歳の少年を警官が射殺したことをきっかけに「17歳」を中心とした大暴動がフランス全土で繰り広げられています。ただ、この暴動、略奪、破壊行為が主張する明白なメッセージはなく、単に怒りをぶつけているという状況です。そもそもフランスは人権などでしばしばトラブルを起こしており、2015年にはイスラムの風刺画を掲載した新聞社に自動小銃をもつ2人組が遅い、12名が殺害された事件もありました。フランスには長く行っていないので現地の空気をつかめないのですが、様々な民族、思想の人々が不安定な社会の中でかろうじてバランスを保っているため、時としてこのような暴動が起きるのではないかとみています。マクロン大統領の不人気の一端もここにあるのでしょう。英国がEUを離脱した理由の一つが難民問題でした。また、欧州の移民難民政策は比較的緩和的でありましたが、近年、無制限ではないという姿勢が確実に広がってきています。
では日本はどうでしょうか?ほぼ単一民族なのでこれらは他人事と思ってはいけません。最大のチャレンジは男女平等問題でしょう。ある意味、欧米から見れば「日本はまだそんなことを言っているのか?」という話かもしれません。2023年のジェンダーギャップ指数が発表されましたが、今年のランクは146カ国中125位で過去最低となりました。この指数は経済、教育、健康、政治で判断するのですが、経済と教育が前年比で若干下落、健康は横ばいですが、政治が悪化しています。つまり、女性政治家が十分ではないという判断です。本件については以前から申し上げているように欧米型の男女平等尺度とアジアのそれは違うため、一概にこの結果を鵜呑みにしたくはありません。教育と健康は十分なポイントをゲットしているため、企業と政治家に女性リーダーが足りないのが主因です。企業についてはどうしても改善したければ外国人の女性を会社の役員に招聘する手段もあります。簡単に改善はできますが、日本の企業が外国人の女性役員をうまく付き合えるのか、という疑問は残ります。つまり仮に日本が数字合わせで女性の役員や政治家を増やしても果たしてうまくいくのか、とすればアメリカのアフォーマティブ アクションの二の舞になりかねないリスクは存在します。
一方、下駄を履かせてでもある程度平等にしないと世の中は上手くワークしないというのも分かります。ゴルフにハンディがなければ初心者が楽しいと思うことはないでしょう。しかし、プロのトーナメントはどうでしょうか?ハンディキャップはありません。つまり、完全実力勝負です。これ、ジレンマだと思うのです。政治家や企業経営者はハンディなしの実力勝負をしているので結果としてジェンダー構成は役員や政治家においてアンバランスになっているとも言えなくはありません。ただ、誤解を避けなければいけないのですが、政治家はそれでも着実に女性は増えているし、候補者も多いのです。あくまでも選挙民が誰を選ぶかという平等の中での結果でしょう。不平等の背景には大まかに2とおりあると思います。1つは能力的問題、もう1つは一般社会で相いれにくい習癖、宗教観、振る舞い、思想などを背景とする問題です。かつて日本人がジャップとかイエローモンキーと言われたり、アメリカのWASPは後者でしょう。能力的差別とは例えば仕事における粘り強さや自己改善意識、成長願望などがぱっと思いつきます。これは同じ人種間でも起きうるわけで、アメリカではトランプ支持派とされる比較的低学歴の人たちと高学歴派との差は好例かと思います。法の下の平等は「言うは易く行うは難し」です。世界の基準も違うので、白人社会が決めたルールが必ずしも正しいという訳でもありません。これを書く私自身、完全なる法の下の平等を自分は履行しているのだろうか、と考えると頭では分かっていてもなかなか行動が伴わないこともあったかもしれません。個人的には下駄を履かせるのはむしろ失礼ではないか、と思っています。下駄=色眼鏡ではむしろ潜在的差別意識を増長しかねません。むしろ弱者の声を聞きながらも改善方法を共に考えるスタンスが大事なのだろうと思っています。
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