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2022-11-09 21:32
「島国は帝国なり」の二重思考の行方-スナク首相誕生
倉西 雅子
政治学者
イギリスでは、保守党の党首にリシ・スナク氏が選ばれ、歴史において初めて同国の首相にインド系の政治家が就任する運びとなりました。国民の大半がアングロ・サクソン系の国であり、古来の伝統を大切に継承してきたイギリス、しかも、保守党政権においてアジア系の首相が誕生したのですから、内外から驚きの声も上がっています。しかしながら、かつて同国が大英帝国を構築し、今なおコモンウェルスを形成している点を考慮しますと、今日におけるインド系首相の登場も、どことなく理解されてきます。
インド系としては初めてではあっても、非アングロ・サクソン系の首相の誕生は、スナク氏が最初の事例ではありません。大英帝国華やかなりしヴィクトリア朝(1837年~1901年)にあって二期に亘り政権を担ったベンジャミン・ディズレーリ首相はユダヤ系の政治家でした(「ディズレーリ」は「デ・イスラエル」からの改姓)。13歳の時に英国国教会に改宗していますが、イタリア出身のセファルディム系移民の子として生まれていますので、祖先をさらに辿りますと、イベリア半島のスペインもしくはポルトガルを経由して中東のイスラエルあるいはバビロニアにまで行き着くのでしょう。そして、大英帝国の成立過程において、ヨーロッパの金融界を牛耳り、かつ、グローバルな商業ネットワークを有するユダヤ人との密接な協力関係が築かれていた点を考慮しますと、この時期にあってユダヤ系の政権が誕生したのも頷けるのです。そして、ユーラシア大陸の西端に浮かぶ小さな島国でありながら、世界大に勢力範囲を広げた帝国でもあったという‘二重性’は、今日に至るまで同国の政治に多大なる影響を及ぼしてきました。今般のインド系首相の出現も、同国の‘二重性’がもたらしたものといっても過言ではありません。イギリスは、領域としては切り離されましたが、旧植民地の出身の移民については優遇措置を設けて受け入れてきましたので、イギリス国内には、インド系コミュニティーも存在しています。アラブ系皇帝が誕生した古代ローマ帝国にも見られるように、帝国では、しばしば‘征服者が、被征服者に、征服される’という逆転現象が発生します。先のヴィクトリア期におけるユダヤ系政権の出現も、‘利用しようとした側が、利用された側に、利用される’ということなのかもしれません。ローマ帝国では、征服地の異民族にも市民権が与えられましたが、民主主義国家であれば、国籍や市民権を獲得すれば参政権を得られますので、同様の現象が起きるのです。
民主的制度には、出自に拘わらず全ての国民に対して被選挙権を認めることで政治家への道を平等に開くという側面があるのですが、その一方で、現代の国民国家の枠組みと帝国の幻影との重なりが、民主主義にとりまして脅威となるケースもないわけではありません。例えば、スナク氏はイギリス国籍を保有していますので、首相の座に座る権利を当然に有しています。しかしながら、民主的制度が多数決を基本原則としている点において、スナク氏の首相就任が国民の自由意志の表明に基づく選択であったのか、という点については疑問符が付いてしまうのです。保守党内の党首選出のプロセスを見ても、スナク氏の選出は、最有力と見なされていたジョンソン元首相が立候補を断念し、ペニー・モーダント下院院内総務も立候補に必要とされる推薦人数を集めることができなかったことに依ります。いわば、棚ぼた式に転がり込んできた首相の座であり、必ずしも民意を反映しているわけではありません。議院内閣制では、与党党内の党首選の結果として首相が決定されますので、民意との乖離が生じやすい、即ち、制度上の欠陥があります。今般のスナク市選出にも、民主主義の原則に照らしますと、民意とは異なる方面からの力が働いている節があるのです。例えば、イギリスの人口におけるインド系の占める割合は5%にも満たないこと、今やインドは中国を抜いて世界第一の人口大国であり、国際政治の舞台にあって重要なアクターに成長していること、同氏にはゴールドマンサックスに務めるなど金融畑を中心に人生を歩んできた経歴があること、富裕層に属すること、義父はインドの有数のIT関連企業の創業者であることなどは、スナク氏が、幻の大英帝国の首相、即ち、国益よりもグローバル利益を優先するグローバリストであることを強く示唆しています。インドにはユダヤ系インド人も多く、あるいは、同氏もしくは夫人は、ディズレーリと同様にユダヤ系なのかもしれません。何れにしても、一般のイギリス国民から支持を集め得る要素には乏しいのです。
もっとも、スナク氏は政権の長期化を目的として、国民寄りの政治家への転換を見せるかもしれません。しかしながら、減税政策によって失脚したトラス首相と同じ轍を踏まないよう、そして、グローバル利益を損なわぬよう、国民生活を犠牲にしても金融並びに財政の安定を最優先事項に設定するものと推測されるのです。果たして、‘島国は帝国なり’というイギリス流の二重思考は、如何なる結末を迎えるのでしょうか。
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