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2007-08-13 09:44
世界を覆う脆弱国家群
高橋 一生
国際基督教大学客員教授
前回6月20日の当掲示板への投稿では、この半世紀ほどの間の開発途上国世界において開発の成功の4つの大きな波があった、ということを述べた。今回は、逆に開発が失敗し、さらには国家のガバナンスが脆くなる、いわゆる脆弱国家群が1990年代を通じて出現し、国際社会に新たな課題を突きつけつつある点に焦点をあてることにする。現在ユーラシア大陸の北東部から中央部、南方に向かって中近東、さらにその南のアフリカという、世界の大きな部分が不安定な地域になっている。いわば、可能性としての大動乱地帯を形成している。その主な原因が、この地域の多くの国が脆弱国家化しつつあることにある。
この巨大な地域でも、最も脆弱国家の多いアフリカをとってみると、1960年は17カ国がいっきょに独立し、アフリカの年といわれた。この年のこれら諸国と、東アジア途上国全体とを比較すると、アフリカ諸国の国民一人当たり所得の方が20%近く高い。また1960年代には、これら途上国全体でも国連の第一次「開発の10年」の目標であったGDPの年率5%成長を達成した。問題は1970年代以後である。独立後第二世代、第三世代のリーダーのもと、明確な政治、経済目標が確立されず、リーダーの資質も疑わしい場合が多くなった。その背景のもと、第一次オイル・ショックが世界を襲い、これらの諸国の中の多くは、国連のMSACs(Most Seriously Affected Countries)に指定された。ときに、これら諸国は「第4世界」と呼ばれたりもした。
さらに1980年代は開発にとっての「失われた10年」になった。IMF・ 世銀を中心とした構造調整政策は、財政の建て直しをめざしつつ、これら諸国の社会基盤を弱体化させた。このような状況で冷戦が終結し、世界の政治構造に激震が走った。米国、ソ連ともに、アフリカ諸国を自陣営にひきとめておくための努力をする必要がなくなった。ヨーロッパ諸国は、ドイツの統一を中心とした新ヨーロッパ秩序の構築と国内体制の安定化に全力投球せざるを得ない状況になった。国内の民族、宗教などのアイデンティティ問題と政治抗争とがからみあい、多くの国で内戦が勃発した。これらの内戦も和平プロセスにのるが、多くの場合いわゆる平和構築が中途半端であった。その結果、紛争が再発する場合が多くなっている。このような状況が脆弱国家群を生み出すことになったわけである。
アフリカ以外の諸国でも、内戦・地域紛争を通じて国家のガバナンス構造の弱体化した国が出てきた。国際社会全体でみると90カ国ほどがこのような状態になっている。これら諸国と国際社会との関係は、もはや、古典的な開発協力の方法ではすまなくなっている。政治、治安、文化、社会、経済などを総合的にとらえなくてはならない。さらに、緊急の人道支援と中期的な平和構築と長期的な開発の諸視点を複合的にとらえなくてはならない。これらのプロセスに関する国際社会の知識の集積は、まだまだ薄い。行動は多分に暗中模索たらざるをえない。これが半世紀の開発の努力の結果たどりついた一つの側面である。
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