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2021-09-22 19:29
現代中国の盲点六論:習近平政権下の「共同富裕」とは何か
松本 修
国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
9月21日付の読売新聞は「習近平政権 『共同富裕』は何を目指すのか」と題する社説を掲載し、「共同富裕」(皆が共に豊かになる)をスローガンに、中国の習近平政権が「貧富の格差縮小を目指す措置」、すなわち「高額所得抑制や低所得者支援、税制改革、寄付」を行い、「IT大手の独占的立場を弱める統制や、富裕層を象徴する芸能人の脱税摘発を強化している」という。そして同社説は、その目的が「国民受けの良い政策で求心力を高め、長期政権の基盤を強化するためとの見方が強い」とし、「(「先富論」先に豊かになるを土台にした)鄧(小平)の政策を塗り替え、独自の路線をアピールすることで、毛沢東に並ぶ『歴史的指導者』の確立する狙いもあろう」と主張し、その一環として「中国の小中高校では今月から、習氏の政治思想の学習が必修化され」、「習氏への個人崇拝が一段と進むことが予想される」とまで述べている。しかし、そもそも習近平政権下で、突然降って湧いたかのように現れた「共同富裕」論とは一体何なのかという認識が足りないと小生は思う。では、今回の「共同富裕」論のルーツはどこにあるのか。
避暑休暇明けの8月17日、中国共産党の習近平総書記は、中央財経委員会会議を主宰し「共同富裕の着実な促進」と「重大な金融リスクを防止・緩和し、金融を安定発展させる」という二大問題の研究を行った。今回の読売新聞社説も、同会議における研究・議論が「国民全体を豊かにする共同富裕を重点にして国民の幸福を図る方針を示した」とし、一部の人間や企業、地域が先に豊かになって、残り多数の国民を誘導して収入・資産を引き上げるという「先豊論」から転換したという認識を示している。同会議の席上、確かに習総書記も「共同富裕は社会主義の本質的な要求であり、中国式現代化の重要な特徴であるから、人民を中心とする発展思想を堅持し、高度な質的発展の中で共同富裕を促進しなければならない」と強調していることからルーツにもみえなくない。しかし、小生は本年に入ってからの中国語文献を遡って渉猟したところ、興味深い文章を発見した。それは、6月11日に公表された「浙江省共同富裕モデル地域(中国語:示範区)のハイレベル発展建設に関する中共中央・国務院の意見」(5月20日付文献)である。「共同富裕の実現は経済問題ではなく、党の執政基盤に関わる重大な政治問題である」と切り出した「意見」は、「我が国の発展の不均衡・不十分という問題は依然として突出している」ため、「人民全体の共同富裕実現促進という長期にわたる困難な任務遂行のためには、一部の地域の先行実施・先行試験を行い、モデル(示範)を作らなければならない」と主張している。「モデル地域」を作って「共同富裕」先行実施地域に選ばれた地方は習総書記のかつての勤務地域で、かつての部下が重用されている権力基盤の浙江省であり、その主管部門は習総書記の地方視察随行メンバーで経済ブレーンの一人である何立峰が主任を務める国家発展改革委員会であったことから考えると、習近平政権下の「共同富裕」は一見「国民受けの良い政策」であろうが、実態は従来の習自身の「権力強化策」にすぎない。しかも決して「先富論」自体を否定しておらず、この路線から「転換」している訳ではないのだ。同「意見」を取り上げた新華社系雑誌「半月談」(7月13日発刊)は「共同富裕は同時富裕ではない」と題する評論を掲載し、「現在、社会には異なった理解が出て来ており、例えば共同富裕を同時富裕、同等富裕と誤解している者がいる」と述べ、「これらは簡単に、かつての平均主義に陥ることになる」と警告していた。あたかも8月末から9月初頭に中国メディアで巻き起こり、中共中央宣伝部が介入し「火消し」に奔走した「左派」論争を彷彿とさせる報道内容ではないか。
さらに、9月の新学期に入ってからの“習近平思想”習近平の政治思想の学習強化の問題がある。それが結果的に「習氏への個人崇拝」へ繋がる可能性は否定できない。しかし、小生は、これが8月20日の国務院教育部長(日本の、かつての文部大臣に相当)の交代とも関係があると考える。すなわち習近平(李克強)政権は、現職の陳宝生(1956年6月生まれの65歳)を更迭し、中国科学技術協会副主席(兼書記処第一書記、実質的なトップ)を務めていた懐鵬進(1962年12月生まれの58歳)を後任の教育部長に据えたのである。懐新部長は米国留学経験のあるコンピューター分野の科学者であるが、教育の専門家ではない。はっきり言って「素人」の教育部長が、政治思想の学習強化や、家庭の教育負担軽減策(学習塾規制、児童の宿題軽減、課外活動実施等)に傾注して、その成果を上層部にアピールする可能性が高い。さらに、これまで述べて来た「共同富裕」の解釈や学校教育問題の根底に何があるのかと言えば、習近平政権が、何ら「統一解釈」を出さないため、経済界、教育界など多くの現場の担当者の恣意的な解釈に基づく施策が野放図に行われていることである。まさに「上有政策、下有対策」(上に政策有れば下に対策有り)という中国社会における不変の構図なのだ。したがって、8月28日付の英国誌「エコノミスト」が、「習近平思想」の確立と普及のために18もの研究センター(研究中心)が設立されていることを報じ、「中国社会の現実が、新たな理念を必要としている」こと、また「その社会を統治する共産党の現実が、新たな理念ないし理論を必要としている」ことから「習近平思想」が必要となると指摘したのは正しい(以上ネット版「Wedge」10月号より引用)。しかし、同思想が毛沢東思想や鄧小平理論とは異なり、論理的一貫性がなく「アイディアの寄せ集めに過ぎない」ことから、その解釈と普及を担う必要性に基づき、2017年の党大会以降、先ず中央党学校、教育部、中国社会科学院、国防大学、北京市、上海市、広東省、北京大学、清華大学、中国人民大学の10拠点、次に外交部に加えて国家発展改革委員会、生態環境部、中国法学会、江蘇省、浙江省、福建省、山東省の8拠点にそれぞれ「習近平新時代中国特色社会主義思想研究センター」が設立されていたのである。ところが、例えば習近平が自ら打ち出した「三新」理論(新発展段階、新発展理念、新発展構造)で何か新たな解釈が打ち出されたであろうか。今の習近平政権下で打ち出されるわけがない、毛沢東時代、鄧小平時代の成果と問題点を洗い出し、一定の評価を下さなければならない新「歴史決議」が今もって存在しないのだから。
「オールド・チャイナハンド」を自称する小生はかつて、神田神保町にある中国関係書籍専門店「内山書店」をよく訪れた。同書店を立ち上げた内山完造氏には、著名な自伝「花甲録」がある。書名は中国語で還暦になることを意味する「年登花甲」に由来するそうだが、小生もこの21日に還暦を迎えた。まだまだ老いの実感はなく、昨年来の中国問題を中心とした評論を継続する所存である。毎回、貴重な場を提供してくれている「eー論壇」関係者に謝意を表する、本当にいつもありがとうございます。
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