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2021-09-11 01:35
現代中国の盲点四論ー中国軍「西部戦区」だけが問題なのか
松本 修
国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
9月7日の時事通信の報道(短信)によると、中国海軍と空軍の司令官の人事が行われ、それぞれ董軍・前南部戦区副司令官、常丁球・前統合参謀部副参謀長が就任したという。これは、6日に行われた上将(軍最高位)昇進式に董、常両氏が新たな肩書で紹介されたことから判明したものである。そう言えば最近、小生は中国軍、武装警察の人事異動を全くフォローしておらず、怠慢なチャイナ・ウオッチの態度を反省せざるを得なかった。別に軍の人事異動が止まっていた訳ではない。あらためて調べてみれば、昨年来のコロナ禍の中でも上将昇進式は行われており、その際の肩書発表で中国軍上層部の異動が確認出来たのである。そして、正確に言えば、今回9月の昇任式では海空軍司令官以外に3人の上将が誕生している。それらは西部戦区司令官の汪海江、中部戦区司令官の林向陽、国防大学校長の許学強である。さらに、わずか2か月前の7月5日にも上将昇進式が行われ、4人の上将、すなわち南部戦区司令官の王秀斌、西部戦区司令官の徐起零、陸軍司令官の劉振立、戦略支援部隊司令官の巨乾生が誕生していたのである。ここでフォローを止めておけば、①海空軍以外にも、2015年末に新設された陸軍司令部、戦略支援部隊(情報やサイバー関連、宇宙を担当する部隊とみられるが実態は不明)、及び「五大戦区」の東部・北部以外の3個戦区(南部、西部、中部)のトップもそれぞれ交代しており、小規模の異動が行われていた、②わずか2か月の間に西部戦区トップの交代が行われ、急転するアフガン情勢や「21世紀の新興大国」インドへの中国軍の対応に若干の疑念が生じた、③いわゆる「60後」人材、すなわち1960年代生まれの人材登用が軍でも顕著であり「若年化」傾向(後述)が明らかになった等がコメントになったかもしれない。
しかし、小生は昨年の上将昇進式はどうであったかが気になった。自身が掌握していたのは昨年8月の1人の上将昇任(陸軍同様、新設されたロケット軍政治委員の徐忠波、前職はこれも新設された聯勤保障<兵站>部隊の政治委員でコロナ対応への論功行賞の可能性大)であったが、調べてみると12月にも上将昇進式が行われており、4人の上将、すなわち後勤保障部政治委員の郭普校、西部戦区司令官の張旭東、戦略支援部隊政治委員の李偉、武装警察部隊司令官の王春寧が誕生していた。これら事象をみてくると、9月9日の韓国「中央日報」日本語版が報じたように、西部戦区司令官は初代の趙宗岐以降、この1年間で3人(張旭東→徐起零→汪海江)が交代しており、中国の“西部戦線は異常あり”かということになる。こうした報道を受けたのか、同10日の読売新聞は「中国司令官2か月で交代 中央軍事委人事に関係か」と題する記事を掲載し、「中国軍でインドやアフガニスタンとの国境などを管轄する西部戦区司令官が2か月で交代した。異例の短期間のトップ交代は、軍の指導機関である共産党中央軍事委員会の人事に絡んだ動きとの見方が出ているほか、更迭説も浮上している」との記事を掲載した。中央日報も読売新聞も、西部戦区歴代司令官の今後の抜擢人事の可能性を匂わせながら、逆に過去の腐敗汚職問題や「戦狼外交」的な手法が問題にされて交代したという論調だが、やや「ゴシップ」記事の感が否めないと思う。むしろ、小生は「習近平の軍事改革」によって新設された「西部戦区」が抱える構造上の問題点に着目したい。
2016年2月、七大軍区(瀋陽、北京、済南、南京、広州、成都、蘭州)は五大戦区(東部、南部、西部、北部、中部)へ改編された。細部の区分等を割愛してざっくりと見るなら、戦略予備とされた済南軍区とチベット自治区を担当する成都軍区が廃止され、東シナ海を主管し、台湾正面の南京軍区が東部戦区に、南シナ海を主管する広州軍区が南部戦区に、新疆ウイグル自治区を担当する蘭州軍区が西部戦区に、朝鮮半島正面の瀋陽軍区が北部戦区に、首都防衛を担う北京軍区が中部戦区にそれぞれ改編された。5年前、この改革宣言を聞いた時、習近平の豪胆な「力技」に小生は舌を巻いたが、同時に“首都防衛部隊が何故「中部」戦区を名乗り、序列最下位なんだ”、“北部戦区は北方正面に加え、済南軍区が抱えていた山東半島正面を「飛び地」として抱え万全の防備が可能なのか”、“成都軍区を廃止して無理くり蘭州軍区と合併させた西部戦区は四川省や重慶市、新疆ウイグル自治区やチベット自治区など中国西部地域を管轄するが、こんな広大な地域を単一の首長(司令官、政治委員)のみに任せられるのか”という疑問が湧き出したものである。そして、今回の西部戦区における人事異動をあらためて考えると、こんな広大で複雑な地域を担当する人材としては、初代司令官の趙宗岐は済南軍区司令官から異動したベテラン指導者であり、かつて成都軍区隷下の集団軍を指揮した現地経験者で適任であった。また、9月に第4代司令官就任が判明した汪海江も近年、チベット軍区と新疆軍区の両方の司令官を歴任した四川省出身者であり「適材適所」の人事異動を、アフガニスタン情勢を見据えてタイムリーに行ったのではないか。これに対し、第2代・第3代司令官を務めた張旭東、徐起零は現地経験は浅く、習近平の専管事項とされる「上将人事」には適合したが、いざ現地に赴任して職務に就いたところ問題が発生したということではなかろうか。
ところで、ここ3年間の中国軍、武装警察の上将昇進式をみて、かつては珍しい「60後」人材、1960年代生まれの人材が軍指導部に輩出していることは注目を要する。2019年では李橋銘(北部戦区司令官 61年4月)と楊学軍(軍事科学院院長、元国防科技大学校長 63年4月で当時最年少)の2人しか存在しなかったが、2020年には徐忠波(ロケット軍政治委員、60年10月)、郭普校(後勤保障部政治委員、空軍上将 64年1月で最年少記録更新)、李偉(戦略支援部隊政治委員 60年9月)、王春寧(武警部隊司令員 63年3月)の4人、本年に入るや王秀斌(南部戦区司令官、袁誉柏海軍上将と交代 64年3月)、徐起零(前西部戦区司令官 62年7月)、劉振立(陸軍司令官 64年8月)、巨乾生(戦略支援部隊司令官 62年5月)、汪海江(現西部戦区司令官 63年10月)、林向陽(中部戦区司令官、乙暁光空軍上将と交代 64年10月)、常丁球(空軍司令官、空軍上将 67年で最年少記録更新)、許学強(国防大学校長、空軍上将 63年4月)の8人と総勢14人(海軍司令官の董軍は年齢不詳)となっている。これは、中央軍事委員会メンバー(副主席2、委員4)を除いた、上将補職28ポスト(後勤保障部・装備発展部各首長4、国防大学校長、軍事科学院院長、五大軍種・武警各首長12、五大戦区各首長10)の内50%が入れ替わった計算となり「若年化」が進展していると言えよう。しかし、これまでの小生の経験からして中国軍の人事予測ほど難しいものはない。例えば上記の上将連が、中央軍事委員会メンバーに「抜擢」されると予測するのはたやすいが、①彼らに統合参謀部や政治工作部への勤務など中央経験が少ないこと、②習近平の「高級幕僚」として仕えるには厳格な「身体検査」(「徳才兼備」政治的に正しく、かつ優秀な才能を有するか否かの人事調査)があること、③現在、上将である必要はなく「黒馬」(ダークホース)として習が登用するなら中将でも構わないこと(中央軍事委員会委員の張昇民はロケット軍政治部主任、軍紀律検査委員会書記として登用されてから上将昇任)などから、上将昇進しても順風満帆には決していかないのだ。逆に職務定年制など意に介さない習近平なら、「若年化」など関係なく過去のベテラン上将(退役しても保持)を再度登用する可能性もあり、今後の人事異動状況が注目されよう。
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