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2007-08-06 10:18
終戦の日に思う
岩國哲人
衆議院議員
終戦を迎えたのは、小学三年生の夏だった。その終戦の日の八月十五日、私は隣の村の親せきの家へ遊びに行っていた。その家の姉さんと小高い山に登って、くぼみにさしかかったところ、三十人くらいだっただろうか、兵隊さんの一群が草の上に座り、隊長さんらしい人の話を聞きながら全員が泣いていた。兵隊さんは強いもの、その兵隊さんが泣くことなどは想像もできなかった私は、その驚くような光景を叔母さんに伝えるために山を駆け降りていった。叔母さんは、よく聞こえる場所を選んだのか、廊下に正座をして、ラジオを聞いていた。十二時、天皇の玉音放送だった。長かった戦争がラジオの放送一つで終わる。幼い私には何がどうなったのか、これからどうなるのか、何も分からないままに、泣いている叔母さんのそばに立ちつくし、さっき見たばかりの兵隊さんの話を告げることさえも忘れていた。
戦後六十一年の歳月が流れ、戦争の時代を知る日本人は四人に一人となった。日本は早く普通の国になるべきだという主張がある。しかし日本は、二十世紀前半のアジアにおける第二次世界大戦を含む諸戦争の、加害者であり被害者でもあったこと、そして、原爆という人類史上の最も非人道的殺りく行為の唯一の対象国であったという事実は消すことができない歴史である。そのような歴史を持つ唯一の国として、日本が「普通の国」ではなく「普通以上の国」としてその歴史にふさわしい理念を持ち、かつ、行動することは、世界の非常識でもなければ異常な国家でもなく、人類のこれからの歴史に対して日本に与えられた使命でさえある。
国際社会に向かって、私たちの国や、日本という民族の志や理念を訴える文書は憲法の他にはない。しかし、それほど大切な憲法について、大きな疑問を放置したままに制定から六十年を過ごしてきたことは恥ずかしいことであり、先進的民主国家とはとても言いにくい。なによりも、作成された時期は連合軍の占領下、すなわち、日本側の主権が制約されている時に、「日本國憲法」が公布・施行されたという厳然たる事実にかんがみると、独立を回復してからも一切、手を付けないということがむしろ異常ではないか。いったん廃止して、仮に実質的に全く同じ憲法を制定しても、それなりの意義は十分にある。占領軍の影響下で作られた憲法、つまり、「米定憲法」を、そのまま二十一世紀のわれわれの子孫にパスしてはならない。精神的怠惰と政治的臆病を私たちはまず恥じるべきだ。
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