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2021-07-08 12:41
(連載2)日露平和条約交渉の視角と死角:北方領土問題とソ連崩壊
梶浦 篤
研究者
4.大西洋憲章とソ連崩壊
ソ連が崩壊した原因は、米国に対して対等な経済力を持ち得なかったにもかかわらず、対等な軍事力を持とうとして、経済力が落込んだということも事実である。しかし、さらに見逃してはならないことは、相対的に見て、「道義の力」でソ連が米国に及ばなかったということである。「正義は力」を建前とする米国に、「力は正義」を本音で行くソ連が、敵わなかったということである。ソ連は米国ほどには同盟国、友好国を確保できなかった。米国陣営には、日、西独、英、仏、伊、加のG7諸国、オーストラリアなどの先進工業国が並んでおり、後には中国も加わった。これに対して、ソ連陣営は、工業国と言えば、東独、ポーランド、チェコスロヴァキアあたりであろう。両陣営には、軍事力ではそれほど差はなかったのかもしれないが、国の数でも経済力でも団結力でも、明らかな差があった。その裏には、領土に拘らずに友好国を増やすことによって軍事基地を確保しようとした米国が、軍事基地の確保のために領土に拘って友好国を減らしてしまったソ連に、「道義の力」によって「外交戦」で勝利したとも言えよう。ソ連と中国との間にも、似たようなことが言えよう。領土に拘らずに友好国を増やす戦略の方が、領土に拘って友好国を減らす戦略よりも、勝っていたということである。別の言い方をすれば、「領土不拡大の原則」「民族自決の原則」に基づいた大西洋憲章が、これに反するヤルタ秘密協定よりも、得策、上策だったということである。
日本から見てみると、領土拡大をせず、大西洋憲章をほぼ守ってきた米中は、そうしなかったソ連よりも、日本から好意を得て、それぞれ基地と経済、技術と経済などの点で利益を得てきたとも言えよう。それが、米中とソ連の盛衰に大きな影響を与えたのである。
ソ連崩壊によりロシアは、第二次世界大戦で得た領土よりも広い14の共和国を失った。しかし、この時ロシアは、一旦は民主主義国とみなされ、G8の構成国にもなった。北方領土の返還前ではあったが、日本は「シベリア抑留」について謝罪したエリツィン大統領の、領土返還の英断に対する期待もあって、これを承諾したのであった。他方、ロシアは、中国などの新興国からなるBRICs、後のBRICSの一員ともなった。言わば、「屋根の上のヴァイオリン弾き」のように、双方に基盤を置きバランスをとる唯一の国として、絶妙の立ち位置を得た。それにも拘らず、その後、ロシアはジョージア、モルドヴァ、ウクライナの領土を占領したり併合したりすることによって、またしても友好国を失い続けている。クリミアの一方的な併合などのウクライナに対する「力による現状変更」が原因となって、G8からも自称「脱退」、他称「除名」となった。メルケル独首相に18~19世紀的と評された国は、これによって、安定性のあるG8の側を失い、BRICSの側のみに依存することとなり、実質上、中国の「ジュニア・パートナー」という、不安定な立場に陥ってしまったのである。
日露の争いと見られている北方領土問題も、視点を変えれば、民主主義、平和主義的で、大国と小国、戦勝国と敗戦国の平等に基づき、「領土不拡大の原則」「民族自決の原則」に基づいた、20世紀以降の先進的な大西洋憲章の考え方と、これらを否定する、19世紀以前の古い帝国主義、拡張主義、覇権主義、報復主義に基づいた権力外交的なヤルタ秘密協定の考え方との戦いと、みなすこともできよう。ペンと剣との戦いと言っても良い。
ヤルタ秘密協定は、もはやモンゴルについてはソ連の衛星国としての「現状維持」は打破され、中国の港と鉄道についてのソ連の特権も返還されている。日本についても、未だに承認されるに至っていないのである。
第二次世界大戦後の米ソ冷戦で、米国やその他の多くの国々が前者を採り、ソ連のみが後者を採った。その結果、中国までもが米国の側に付き、「四面楚歌」ならぬ「四面ソ歌」となり、ソ連崩壊となるに至ったのであった。本来ならば、国際政治研究者の村田晃嗣氏が言うように、冷戦終結の講和会議が開かれても、おかしくはなかっただろう。その際、大西洋憲章と連合国共同宣言に謳われた「領土不拡大」「民族自決」の両原則に基づいて、国境の再調整が行われることを条件として、ロシアへの経済支援が行われるべきであっただろう。未だに継続中の日露平和条約交渉においては、そのような視角を十二分に考慮に入れる必要があることは、言うまでもない。
5.「引分け」とは大西洋憲章
現在は、中国も領土問題などにおいて、帝国主義的な政策を採っている。そのため、中国と近隣諸国や西側諸国との関係は悪化している。また、そのためか中露関係は、比較的良好に見える。ロシア人は好んで、中露は「潜在的同盟国」であると言う。しかし、中国人の方は果たしてどうであろうか。中露は国家の理想自体が明確でなく、共通の価値観や普遍的な原理・原則というものもあまり見当たらない。強いて言えば、反米、覇権主義、「力による現状変更」などということだろうか。しかし、確かに中国にとっては、最も警戒すべき国は米国であるが、ロシアにとっては、それは米国ではなく中国である。それに気づいている人は少ない。また、国境が中国に著しく不利になっていることは、両国の不安的要因として、常に付きまとに付け込んだ侵略であろう。う。ロシアからすれば、中国の「北方領土」は、英仏との戦争の仲介料替わりかもしれないが、中国にとっては、自国の弱体化に付け込んだ侵略であろう。ロシアとしては、アラスカのように、買収という形にしておいた方が良かっただろう。「ただより高い物はない。」 注意すべきことは、ロシアは気付くまでは「向中一辺倒」を変えようとしないため、ロシアにこちら側に来てほしいからと、不要な譲歩をしないことである。ロシアに対して、択捉も国後も色丹も歯舞も放棄して平和条約を結んだとしても、ロシアが「向中一辺倒」が国益だと思っている限りは、それに対する見返りは、一度、謝意を表されただけで終わりである。
中国の第1列島線が樺太を縦断していることや、第二次世界大戦70周年に中国が軍事パレードで世界に誇示した戦車が、「水色」つまり「凍った北の川」の色だったということなど、決して見逃すことができない事実もある。「戦車は水色」「冬にご用心」である。ロシアには「冬将軍」という強力な「同盟国」がおり、そのお陰でナポレオンもヒトラーも退けることができた。しかし、こと中国との関係では、「冬将軍」はロシアに決して味方しない。中露国境までは、北京からは南から北へ約1000キロ、モスクワからは西から東へ約1万キロ。ロシアの方が距離だけでも10倍不利であり、寒さも厳しく、雪も深い。兵站上の不利は明らかである。
一方のG7は、国境はほぼ大西洋憲章に基づいて確定されているので、領土問題がないと言ってもよく、民主主義、航行の自由、法による支配という価値観も共有しており、分裂することはまずあり得まい。そうして見ると、今後は、ロシアが先にG7と価値観を共有して和解しG8となり、その結果「四面華歌」となるか、米ソ・東西冷戦のように、中国が先になって「四面露歌」となるかの、2つに1つである。「四面露歌」を避けるためには、ロシアは日米欧などから、中国よりもロシアの方を支持したいと思われる必要がある。ところが、日欧は、ソ連・ロシアから重大な侵略を受けたが、中国については、中世にモンゴル主導の元朝からの侵略を受けたのみであるため、少なくとも現時点では中国を選ぶであろう。従って、中露から侵略を受けたことのない米国のみが、現状で脅威が比較的深刻でないロシアを選びたいと思っても、日欧は付いてこないため、それは無理であろう。
日本人からすれば、日本が一番困っている時に、中立条約を破って攻撃してきたソ連軍と、その時に日本人を助けてくれた中国人の好対照は、よく知られる所である。ソ連によって、男たちはシベリアなどに抑留されてしまい、子供たちは残留孤児とされ、女たちは残留婦人、「特殊婦人」とされた。残留孤児、残留婦人、「特殊婦人」が帰国できたのは、多分に中国人のお陰に因っているのである。今は、日本人の対中・対露イメージは、共に必ずしも良くはない。しかし、日本と和解する姿勢を示すには、中国は尖閣諸島における領海侵犯を止める必要があるが、これに対して、ロシアが中国と同等の立場に立つためには、やはり反省、謝罪と、相応の然るべき領土の返還が必要となろう。因みに、シベリア抑留を、十数秒こうべを垂れて謝罪したエリツィン大統領は、日本国民から大いに評価された。
興味深いことに、駐日ロシア大使館の前には、昼間は大抵、機動隊の車両が2両警備当たっているが、夜間に通ったら5両になっていた。これに対して、駐日中国大使館は夜間に通ったら1両しか見当たらなかった。日本人の対露・対中感情を、図らずも象徴しているようである。
2018年9月の東方経済フォーラムでロシアのプーチン大統領が安倍首相に対して、前提条件なしに平和条約を結ぼうと言い、ロシア人が多い聴衆との「あうんの呼吸」ならぬ「アー・ヤーの呼吸」で大受けとなった時、安倍氏は「俺とウラジーミルの仲」だからと思ってか苦笑いをしていたが、並んで座っていた、中国の習近平国家主席は冷ややかな表情でプーチン氏の方を2度ほど横目で見、モンゴルのルトマー・バトトルガ大統領はこわばった表情をしていた。図らずも、日中モンゴルの3か国は共に、ロシアに「北方領土」を奪われており、ヤルタ秘密協定では煮え湯を飲まされているのである。韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相は、映像からは見えず、笑っていたか拍手していたかはわからなかったが。
いずれにせよ、ロシアは、ヨーロッパでは米英仏独などの連合と陸で対峙し、北極海を隔てては米加と対峙している上に、人口希薄な極東地方では、中国と陸で対峙し、日米と海で対峙している。このような戦略的に困難な状態と、今後の経済力の相対的な低下からすると、日中両国の北方領土の支配を続けることは、大きな負担となり、返還した方が得策となる。
ヨーロッパ政治史が専門の百瀬宏氏とある作家との対談で、ロシア帝国の領土拡張に批判的な百瀬氏に対して、作家がロシアにとっては良かったのではないかと言うと、百瀬氏が他の国の領土を獲ってはいけないと応じていた。それはロシアにとっても良くないという意味でもある。ほかの国から恨まれるからということであろう。
イタリアに囲まれたサンマリノは、面積は大変小さいが、長きに亘って領土と独立を維持している。かつてナポレオンがこの国に注目して、味方になったら領土を広くしてやると言ったそうだ。これに対してサンマリノは、領土を広げては周りから反感を持たれるので良くないと、ナポレオンの申し出を辞退したそうである。一時は広大な領土を征服したナポレオンは、結果としては短期間ですべてを失ったが、サンマリノは紀元301年から今日まで「小さくてもキラリと光る国」として立派に存在し続けているのである。
イタリアに囲まれたもう一つの国がある。ヴァチカン市国である。昨今、米国に同時期に中国の国家主席とローマ教皇が訪問した。それぞれ、世界最大の人口を誇る国と、人口ばかりか面積も世界最小の国である。しかし、米国民はローマ教皇の方を厚く歓迎した。軍事力や経済力よりも、「道義の力」が重んじられる良い例である。ローマ教皇には、約16億人のキリスト教徒が付いており、少なからぬ他の宗教の信者からも、一定の敬意を受けている。これに対して、中国政府は、人口は約14億ではあるが、国民のすべてが政府を支持しているわけではない。チベット民族、ウイグル民族、モンゴル民族のみならず、漢民族にあっても、民主派の人々、香港人、台湾人の中にも、支持をしない人々が少なからずいる。外国の支持者もそう多くはないのである。ちなみに、ソ連のスターリン首相は、ローマ教皇は何個師団持っているのかと尋ねたそうだ。
E・H・カーは、国力の3つの要素として、軍事力、経済力、「道義の力」を挙げている。現代の外交は、軍事力や経済力よりも、やはり「道義の力」の方が有力である。「信頼」と言ってもよい。「友に信あり」「信なくば立たず」である。自国の勢力範囲を広げようと、他国から領土や独立や自由を奪って「信頼」を失い、反感、憎悪、軽蔑の対象とされ、結果として友好国を失うのは下策、他国から領土や独立や自由を奪わすに「信頼」を保ち、共感、敬愛、尊敬の対象となり、結果として友好国を増やしていくことが上策である。相手が友好国なら、領土を奪わずとも、基地を借りることも可能である。テリトリーよりトラスト、ランドよりハート、「島」より「信」である。
日露戦争でも、ロシアに領土の全部または一部を奪われたフィンランド人、ポーランド人、トルコ人が、日本を応援した。
東西冷戦は西側が東側に、民主主義が覇権主義に、資本主義が社会主義に勝ったと言われてきたが、大西洋憲章がヤルタ秘密協定に勝ったとも言える。これからの時代は、ロシアか中国のどちらかヤルタ秘密協定的な考え方に拘り続けた方が、後塵を拝するものと予想される。
ソ連は北方領土を返還しなかったから崩壊したと言ったら、大げさかもしれないが、ソ連は大西洋憲章を守らなかったから、大西洋憲章を守った米国にパックス・アメリカーナを許し、崩壊したと言えるのではないだろうか。
北方領土問題の解決において、果たしてロシアが、第二次世界大戦の結果はあくまでもヤルタ秘密協定によるべきという考え方に拘り続けるか、そうではなく、大西洋憲章の考え方を採ることができるかが、「四面露歌」となるかどうかに繋がっていくであろう。「四面露歌」となっても、ロシアはショスタコーヴィッチを演奏し続けるのかもしれない。ただし、ショスタコーヴィッチは「赤いファシズム」にも反対しており、彼自身は「反ヤルタ」でもあったのかもしれない。
ソ連崩壊時に、各地でレーニンの像が倒されたが、当のレーニンは喜んでいたのかもしれない。彼がロシア革命によって目指そうとしていたのは、領土拡張に固執するスターリンの帝国ではなく、トロツキーの唱えた「無併合・無賠償・民族自決」を唱道する、別の言い方をすれば大西洋憲章に賛同する、平和的な共和国であったのかもしれないからである。
大西洋憲章の考え方に立つ人たちとヤルタ秘密協定の考え方に立つ人たちの間には、未だにベルリンの壁が走っているのかもしれない。人類の歴史からすると、いずれはベルリンの壁が崩壊し、大西洋から吹いてきた偏西風が、ヤルタの雪を解かすということなのであろう。
ヤルタ秘密協定に支配されている人は、ロシアにばかりではなく日本にもいる。そこで、私は申上げたい。ベルリンの壁を壊し、大西洋から吹いてくる暖かく清らかな偏西風で、ヤルタに積もった冷たく穢れた雪を溶かして、埋もれているあなたをベルリンの壁のこちら側に救いたい。
いずれにせよ、「引分け」と言うなら、その答えはもう既に出ているのではないだろうか。「引分け」とは、大西洋憲章である。
興味深いことに、未だに大西洋憲章が適用されていない地域、例えば、パレスティナ、クルディスタン、チェチェン、東トルキスタン、チベット等々に、領土問題、国境問題、民族問題、独立問題、テロ事件、戦争が生じているのである。世界中に大西洋憲章が適用された時、世界平和が実現するのではないだろうか。(おわり)
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