ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2021-07-06 19:53
「拝察」を天皇の政治的介入とするのは過剰反応
中村 仁
元全国紙記者
東京五輪の開会が迫り、西村宮内庁長官が「天皇は新型コロナウイルスの感染状況を大変ご心配されている」(24日)と、記者会見で述べました。当然の懸念であるとともに、天皇の異例の発言です。さらに池田宮内庁次長が波紋の大きさに驚き「天皇が名誉総裁の務めをつつがなく、安らかになされるよう関係機関が連携して、感染防止対策を講じていただきたい」(28日)と、沈静化を狙った発言をしました。
戦後の憲法では、天皇に政治的な権限を付与していないにもかかわらず、「五輪中止の御聖断が下された」と発言する著述家もおりました。からかい半分の「御聖断」ですから、黙殺するに限ります。「長官発言は大御心(天皇のこと)の本音を代弁している」という指摘もネット論壇で読み、驚きました。「大御心」とはまた古い。長官は「私の拝察だ。肌感覚でそう感じている」と釈明の発言です。実際は天皇のお気持ちそのものでしょう。それにしても「御聖断」といい、「大御心」といい、戦前の天皇像が消去されていない人達がいることも分かりました。
今後、どうなるでしょうか。バッハIOC会長も菅首相も、最早、中止は考えていないにせよ、緊急事態宣言がまた発出されれば、「無観客」に切り替えることはあり得ます。もっとひどくなれば、躊躇なく開会中でも中止に踏み切るべきです。もう一つは、国家元首である天皇の任務である五輪の開会宣言文の修正です。天皇は大会の名誉総裁で、開会宣言をすることになっています。オリンピック憲章には「開催地の国家元首が以下のいづれかの文章を読み上げ、開会を宣言する」と、明記しています。オリンピアード(夏季五輪)の開幕においては、「私は第〇回近代オリンピアードを祝い、〇〇(開催地名)オリンピック大会の開会を宣言します」という、1,2行の短い宣言です。また、冬季大会の開幕においては「私は第〇回、〇〇(開催地名)大会の開会を宣言します」です。冬季大会では「・・祝い」がありません。コロナ感染を懸念する天皇が「祝う」気持ちになれないと考えても、全く不思議ではありません。冬季大会では「祝う」がないのですから、今大会では「祝う」をはずしてもいい。IOCに弾力的運用を望みます。恐らく、天皇は「この宣言文はなんとかならないのだろうか」と、宮内庁長官に持ち掛けたのではないでしょうか。
新憲法下では、天皇の政治的介入は否定されていますから、「五輪中止」を天皇が望んだとは思えない。それに比べ「宣言文の修正」は天皇が望んだ可能性が十分にあり得るし、それは国民の気持ちを汲むことになります。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:4819本
グローバル・フォーラム