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2007-07-30 21:03
参院選の結果に思う
福嶋 輝彦
桜美林大学教授
昨晩、自民党の大敗を伝える参院選の報道を視ながら、ふと妙なデジャヴ(既視観)を感じた。それは96年のオーストラリアでの総選挙での労働党政権の大敗であった。83-91年の労働党政権は、ホーク首相の圧倒的な国民的人気を楯に、当時世界で最も閉鎖的な経済構造に着実に改革のメスを加えただけでなく、APEC設立やカンボジア和平など外交でも堅実にポイントを重ねて、長期政権化した。その後継のキーティング首相は、引き続き経済面では非常に重要な労働市場改革を断行したのだが、景気が思うように好転せず、国民の間での人気は今一つだった。
そこで、キーティングが打ち出したのが、先住民との和解やいっそうの「脱欧入亜」の推進、共和制移行提唱などの、文化社会面での改革の強力な推進であった。当初はこの戦術は功を奏したのだが、次第に国民の間では、キーティングは文化社会改革に「取り憑かれている」あまり、国民の生活面での声をないがしろにしている、という不満が蓄積していった。それでもキーティングは、アボリジニへの先住権原付与や核軍縮へのイニシアティブなどを通じて国民の支持を取り込もうとし続けた。その結果、自らの伝統的支持基盤である労働者の幻滅を招き、96年選挙で惨敗を喫した。「選挙民にlistenする」ことを忘れたがゆえに、キーティング政権が追求した改革は、その後大きく遅れるという後遺症も残してしまった。
安倍政権も、「改革を続ける」とは唱えてきたものの、足元で年金という改革するにはあまりに大きい問題が噴出したうえに、政治とカネの問題が浮上してしまった。そこで改革の象徴として当てにしたのが、強行日程で採決にこぎつけた教育基本法や天下り規制法案ではなかったか。そのような安倍政権への、今回の参院選での宣告も、一口で言えば、年金のような気にかかる問題について、有権者に「listenせよ」ということであろう。
すると、自民党であれ、民主党であれ、真に改革を志向するのであれば、国民の声に「耳を傾ける」ことが肝要なのではないだろうか。その是非はさておき、小泉政権の成果にしても、国民の声を汲み取ることに他のどの政権よりも気を遣ったがゆえに、実行可能となったことを今一度思い起こすべきである。
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