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2020-12-06 22:23
天野為之と国際商業
池尾 愛子
早稲田大学教授
去る11月30日に本e論壇に「天野為之と自然利子率」と題して書いたように、天野為之は明治時代に活躍した経済学者であり、当時の最新の経済知識、最新の国際経済情報を得て、先駆的経済論議を展開した経済ジャーナリストでもあった。1895年創刊時から1907年まで『東洋経済新報』に社説を寄稿していた。「外交と貿易」をテーマとする社説については、当時米ダートマス大学で教鞭をとっていた朝河貫一の著書『日露衝突』(英文、1904年)等を参照すると、天野の主張がよくわかる。
天野の貿易に対する見解は次のようにまとめられる。当時は、保護国や植民地としなければ、外国人の生命や財産が護られないことがあり、当該国と自由貿易ができない状況があるので、保護国については真っ向から反対することはできない。しかしながら、自由貿易を行うための保護国や植民地でなければならず、それはイギリスが多くの植民地に対して行っていた政策であり、日本もそうした国々に対して工業製品の輸出を伸ばしている。それゆえ、保護国とした国で、貿易保護主義の政策をとり、他の国々に対して門戸開放しなければ、イギリスを含む諸外国から反発を招くことになるであろう。
天野は中国(清国)を、貿易相手国であり、将来は関税をゼロにして経済統合を進めて他地域に対する経済的競争力を共に強化すべき隣国としてみなしていたといえる。独経済学者W・ロッシャーの名前こそ上げていないが、ロッシャーの関税同盟(関税ゼロ国グループ)案を東アジアに適用すればどうなるかを考察していたようだ(天野は、仏訳からのリレー英訳を読み、ロッシャーの名前を英語読みで記すことがあった)。1902年1月25日号の署名社説では、清からの海外直接投資(FDI)の受入れ、清へのFDI、貿易拡張の3つの方策の可能性をあげて考察した。FDIの進展には互いの信頼・信用関係があることが前提になるので、展望は少ない。それゆえ天野は、まず2国間で著作権条約(日本は1899年にベルヌ条約批准)を締結して福沢諭吉の『西洋事情』などの読者を増やして啓蒙に努め、工業製品に対する需要を喚起することを提案したのである。
1911年に辛亥革命が勃発して中華民国設立が宣言されるが、天野の姿勢は変わらない。中等レベルの教科書『実業新読本』(全5巻、1911年、1913年)は天野の書下ろし文と、他の著者による文の引用から編まれていて、漢文での引用文も含まれている。近隣の貿易相手国、経済パートナーとして中国を意識してのことだと思われる。現在では、東アジアでの包括的経済連携協定(RCEP)の署名にこぎつけたものの、互いの信頼・信用関係についてはどの程度のものなのであろうか。他地域への脅威として「関税同盟」が出現したのは、欧州共同体(欧州連合の前身、西ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6ヶ国)が1968年に関税をゼロにした時であったといえる。佐々波楊子著『国際分業と日本経済』(1980年)等は、製造工程を分割するようなFDIにより国際的生産体制(international production)が進んだことを描き出した。FDIは結果として経済統合を進めることであろう。原料供給地あるいは製品消費地を意識してのFDI、技術提供をパテントにするかFDIにするかといった選択、貿易摩擦回避のためのFDIなどがある。歴史を振り返ってみて、低賃金だけを理由にするFDIにはどのような例があるだろうか。
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