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2020-06-07 18:00
「最後の編集者」粕谷一希試論補足
松本 修
国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
1 はじめに
先日、日本の「最後の編集者」とみなされる粕谷一希先生に関する拙稿を投稿したが、「おわりに」の部分で「『紙牌』をたてる」と記述したが「紙牌(トランプカード)」ではなく「『紙碑』(紙の碑)をたてる」の誤りであった。ここに訂正し、あらためて粕谷先生の生前を想い、その業績を振り返る作業を続けたい。
2 同時代人のこと
粕谷先生は1930(昭和5)年2月4日、東京・雑司ヶ谷に生まれた。同い年生まれには『戦略的思考とは何か』で有名な岡崎久彦氏、日本に「危機管理」論を広めた佐々淳行氏、ジャーナリストの徳岡孝夫氏、作家の半藤一利氏、澤地久枝氏、野坂昭如氏、開高健氏らがおられる(新潮新書『同い年事典』)。時代背景をみると、前年の1929(昭和4)年には世界恐慌が起こり、1930年金解禁が断行されたが日本経済は不安定化、翌1931(昭和6)年満州事変が勃発している。そして、1945(昭和20)年4月の15歳の時、粕谷先生は自宅と学校が空襲で焼失、8月には旧制府立中学3年生で敗戦を迎えた。この敗戦のショックこそ粕谷先生の思索の「原点」ではなかったろうか。
3 講義「現代ジャーナリズム論」の思い出
個人的に粕谷一希先生と知り合ったのが、1982(昭和57)年の大学の授業であったことは6月2日の拙稿で記した。当時の粕谷先生の口癖は「史・文・哲」(歴史・文学・哲学)の重視であった。特に歴史に関する知識は該博であり、ある講義では公開が予定されていたドキュメンターリー長編映画『東京裁判』の内容が取り上げられた。「東条英機や広田弘毅らA級戦犯は本当の戦犯ではない」と切り出した粕谷先生は「私が考える戦犯は政治家なら近衛文麿、軍人は石原莞爾、外交官は松岡洋介だ」と主張された。その細部は述べないが、「世界最終戦争論」の自説に基づいて満州事変を計画・実行した石原莞爾、国際連盟脱退・日独伊三国同盟条約締結を主導した松岡洋介、日中戦争の中で交渉相手である「国民政府(蒋介石)を相手とせず」声明を出した近衛文麿、以上3人の言動が日本を対米戦争の道へ引きずり込んだというのが粕谷先生の主張であったと私は理解している。そして、講義後の茶話会で「真の戦犯に真珠湾奇襲を敢行した山本五十六は入らないのでしょうか」と質問した私に対し、粕谷先生は微笑するだけで答えなかった。
4 おわりに
6月7日の早朝、ETVの番組「心の時代に~宗教・人生~」で「緊急事態宣言の日々に」を視聴した。内容は作家の辺見庸氏の最近の主張を取り上げるものだった。その主張の当否は別にして、辺見氏が「(コロナ禍で)欲しいのは言葉」であり、マスクや消毒薬ではないと強調したのが印象的だった。視聴後に思わずかつて数十年前、粕谷一希先生が編集を務めたシリーズ『言論は日本を動かす』(講談社)を想起した。今後も、先人に学んで思索と記述を止めてはならないと私は考える。
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