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2020-04-27 15:45
西洋思想とコペルニクス革命
池尾 愛子
早稲田大学教授
1990年頃か1990年代のことである。アメリカにいた時、科学と西洋思想の展開を知るための推薦書が話題になり、トーマス・クーンの『コペルニクス革命:西洋思想の発展における惑星天文学』(1957年)があげられた。クーンは日本では『科学革命の構造』やパラダイム論で有名な科学史家で、天動説から地動説への変化を科学革命の典型例と捉えていた。しかし、「『コペルニクス革命』の英語や概念は難しいので、帰国してから和訳を読めばいい」と言われた。
帰国した後、幸いにも和訳を見つけて、すぐに読んだと思う。天動説から地動説への変化をもたらした人としてコペルニクスが注目されている。惑星(planets)の運動を観察して、どう説明するかがポイントになる。天動説では、つまり太陽や天体が地球を中心とする円軌道上を運動すると想定する場合、周転円仮設など幾つかの補助仮説を追加して惑星の運動を説明していた。クーンは、コペルニクスの『天体の回転について』(1543年)は地球の運動という点を除けば、古代や中世の天文学者や宇宙論者の著作に似た部分がたくさんあるという。
『天体の回転について』の重要性は、それが他の人たちに言わせたことにあり、革命を作り出した本だという。16世紀にキリスト教世界が変わり始め、17世紀初頭、カトリック教会はプロテスタントの批判に揺れていた。カトリック教会は、1616年にコペルニクス主義を教義上の論争点にし、晩年のガリレオ・ガリレイ(1564-1642)に自説を撤回させた。ガリレオは新しい道具である望遠鏡を用いて新発見を積み重ねていた。もっとも、惑星の問題を解決したとされるケプラーが「ロドルフ表」を発表した1627年以降は、天文学者たちはコペルニクス主義を受け入れていたとする。観察に基礎づけられた惑星天文学(planetary astronomy)が英語のサイエンス(science)のイメージを作っているという話は、他の科学史の書籍で読んでいる。
16世紀半ば、カトリックのポルトガル人、スペイン人に続いて、新教のオランダ人、イギリス人が日本に到来して貿易が進んだ。しかし貿易と宗教が分離できないこと等があり、江戸時代には、200年以上にわたって鎖国政策がとられた。維新後、1877(明治10)年に東京大学が設立され、翌年アメリカ人アーネスト・フェノロサが来日して(西洋)哲学史や経済学(理財学)を英語で講じ始めた。哲学史はデカルト以降が取り上げられ、経済学の読書リストにはアダム・スミスは入っていない。アメリカの大学の学長や教授たちから多くの助言を得たと思われ、他者の宗教に敬意を表し、特定宗教を押し付けることがないように配慮されていたといってよい。
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