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2007-06-03 08:01
防衛省守旧派、集団的自衛権の解釈見直しに最後の抵抗
伊奈久喜
新聞記者
有識者による集団的自衛権の解釈見直し作業が始まった。懇談会をつくるとのニュースに接したとき、防衛省の守屋次官は記者会見で「聞いてない」と素直な反応を漏らした。この件で防衛省に連絡がなかったとすれば、以前もこの欄で書いた久間防衛相の消極姿勢だけでなく、防衛省内局の古手になお残る、国際情勢への対応よりも、自衛隊を厳しく管理するのが自分たちの仕事と考える体質に対する官邸の不信感の結果だろう。
安倍首相が示した4類型には、これなしには日米同盟が機能しないし、自衛隊の国際活動も制約されるとの危機感がにじむ。懇談会の座長に就任した柳井元外務次官ら外務省関係者は首相に近い感覚を持っている。一方、防衛省は本欄で再三書いたように、自衛隊の国際活動にはもともと消極的であり、守屋長期政権下では国際派が中枢からはずされているから、組織全体としては日米同盟の最前線の皮膚感覚も欠いている。
防衛庁時代の内局官僚は、昭和30年代入庁組の少なからざる人たちは自衛隊をしっかり管理すれば日本の平和は守れると考えていた。退職後に、その本音を朝日新聞などに語り始めた元幹部も少なくない。彼らは自衛隊を働かせないために防衛庁に入った「平和主義者」だった。一方、昭和40年代入庁組は、学園が全共闘運動で荒れたなかで防衛庁を選んだ人たちであり、国際派ではなく、国粋派の傾向が強い。昭和50年代入庁組になってようやく国際派が登場する。
現在の幹部は、観念的平和論の30年代入庁組に育てられた40年代入庁の国粋派であり、自衛隊管理庁だった体質から逃れられない。彼らにとって集団的自衛権など大きな迷惑なのだろう。理屈はこうだ。個別的自衛権の行使は、法的には防衛出動が命令される事態であり、それには厳重な手続きが要る。4類型にある事態は、いずれも突発事態に近く、現場の指揮官に判断を委ねざるを得ない。となれば、個別的自衛権よりも厳しく制約されるべき集団的自衛権の行使の手続きが簡単になってしまう。
確かに実力組織を暴走させないことと、それを機動的に使うことは一種のジレンマである。それを両立させるのが正しいシビリアン・コントロールであり、一定の状況では首相が閣議の手続きを経て現場に権限を委譲しておくことが必要になる。それなしには個別的であれ、集団的であれ、現場の部隊が自衛権を行使しなければならないと判断したときに、いちいち首相に閣議を開いてくださいと電話しなければならない悲喜劇になる。
防衛省内局と朝日新聞との関係はこれまでは必ずしも近くはなかった。しかし集団的自衛権に関しては内閣法制局も含めて、守旧派トライアングルを形成する。幸いなことに、いわば防衛省の代表として有識者会議に出ている佐藤元次官、西元元統幕議長はいずれも守旧派ではないし、守旧派の内局官僚はいずれ退場する。30年代入庁組の一部がそうだったように、案外、朝日御用達のコメンテーターになるかもしれない。
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