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2007-05-30 13:51
白い地球儀
岩國哲人
衆議院議員
ODA、PKOなど、日本の国際貢献をめぐる話題がにぎやかだが、地球環境の問題に積極的に取り組み、貢献することが、日本にとっては最高のはまり役ではないか。砂漠化や温暖化防止など、日本の貢献は、「地球地図」の作製から始めてはどうか。今までの「世界地図」は、地図作製技術の差異とか防衛上の理由で、各国の提供した地図を貼り合わせてつくられ、不正確な面があった。しかし、東西冷戦の消滅や、地球環境問題への国際的関心の高まりから、各国の共同作業で地球の標準地図を作成する機が熟している。
日本がその中心となってはどうかと、出雲市長三年目のときに、ある新聞にそのような趣旨を寄稿したところ、同じような意見を持つ建設省、国土地理院、日本学術会議の幹部の間で話し合いがもたれ、九四年、第一回の地球地図国際会議が、旧暦神在月(かみありづき)の出雲市で開かれることになった。七三三年に作成された「出雲風土記」は、地形・地理などの記録としては、現存する日本最古のもので、第一回の国際会議の開催地が出雲に決定したのは、そうした歴史的背景からでもあった。
国連アメリカ地域地図会議、国際地図学会、北京で開かれた国連アジア太平洋地域地図会議などでも、次々と地球地図構想に対する支持決議、地球環境保全のための地理情報整備促進決議が行われ、日本の提案が珍しく国際舞台でクローズアップされ、はずみがつくことになった。九四年の「出雲宣言」にはアメリカ、フランス、イギリス、韓国、中国など十四カ国が参加したが、参加国数は現在百五十六国、世界陸地面積の約九五%にまで広がって、WORLD MAP(世界地図)がGLOBAL MAP(地球地図)へと交代する日が近づいてきた。今日までの人類の五十万年は、正確な地図を持たなかった人類の歴史。これからは、正確な地球地図をすべての国が初めて共有する人類の歴史が始まる。「出雲風土記」が、いまや「地球風土記」に書き換えられようとしている。
新緑五月のある日、東京大学総合研究博物館小石川分館を訪ねた。その博物館にある直径一メートル六〇センチの巨大な地球儀に会うためだった。 その地球儀については、東京大学の学内誌などに、次のような話が紹介されている。
第一次世界大戦が始まるとすぐに、ドイツ軍はベルギーに侵入し、古い歴史を持つルーヴァン大学の図書館が焼失した。一九一八年に戦いが終わり、日本は全国から集めた図書をルーヴァン大学に贈った。 ところがその直後、今度は一九二三年の関東大震災で東京帝国大学図書館が壊滅して、五十七万冊の蔵書が焼失してしまった。 国際連盟が各国に日本援助を呼びかけ、ベルギーからは図書と義援金も送られてきた。東大は、一九二八年にこの義援金でベルギーに地球儀を注文した。 それから九年、待望の地球儀が一九三七年(昭和十二年)に到着。しかし、箱を開いてビックリしたのは東大だった。地球儀が国別に着色されていなかったからだ。 その六年前の一九三一年、日本は中国の東北部に侵入し、翌年には早くも満州国独立宣言を行い、更にその翌年、国際世論に抵抗して国際連盟まで脱退した。 ベルギー地理学会は、満州国を地球儀上に示すことを潔しとせず、警告の意味で着色しない地球儀を送ったのだった。それから七十年、武力による侵略への国際社会の批判と未来への警告は、いくつもの歴史を刻みながら、日本最古の小石川植物園、そして近代植物学研究発祥の地となった森に囲まれて保存されている。
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