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2019-03-18 11:05
王陽明『伝習録』を読む
池尾 愛子
早稲田大学教授
昨年、王陽明(1472-1528)の『伝習録』(溝口雄三訳、中公クラシックス)を手に取った。『伝習録』の上巻にあたる書物が1519年頃に門人の手によって書き上げられ、整理や加筆を経て、1556年に、現行の三巻本が完成したとある。そして、陽明学といっても、中国の陽明学と日本の陽明学は別の思想のように異なると書かれている。その上で、中国陽明学がもたらした思想的な波及効果――(1) 経典の絶対化、権威化が否定されるようになったこと、(2) 価値観の相対化がもたらされたこと、(3) 晩年の無善無悪論からやがて明末の欲望肯定的な人間観が生み出されたこと――はよく知られていると書かれている。西洋哲学の歴史を多少眺めたことのある者に、ルネサンスや功利主義を想起させるように解説されていると感じられる。
王陽明は明代、問答・討論を通じて門人たちを教えていた。陽明は教えの内容は人によって異なってくると、筆録を禁じていたが、反対する師を説得して、陽明の教えを筆録していた門人の徐愛(1487-1517)が最初の記録(上巻)を完成させた。後に他の門人たちへの教えも記録されて続巻が登場する。陽明が徹底して門人たちを思考させるように導いていたことがよくわかる。陽明が「我思う、故に我あり」としたデカルトの哲学をそのまま実践していたようにみえて大変興味深い。陽明が古人の教えを丁寧に伝えたうえで批評する場面が多々あり、古人の教えと自分の教えを常に峻別して門人に語り掛け、時として古人の説への批判を含めていた。各古人の教えを全面的に否定することもなければ、全面的に受容れることもなく、必要に応じて引き出して参照したのである。
王陽明の命題「知行合一(日本語では「ちこうごういつ」と発音する)」は、「知は行の主意(きほん)、行は知の功夫(じっせん)、また知は行の始(もと)、行は知の成(じつげん)である」と説明される。「知」は「道徳知」とも「良知」とも言い換えられ、修行を経て獲得される。「行」は、修行、思考、討論、(現代的)実践、問題解決を含む広い概念といえる。「知」と「行」を分けてはいけないと繰り返されている。「知行合一」は、実践と調和する理論を選択しようとするプラグマティズム(中国語では「実用主義」と表記される)哲学と重なり合う。
清国時代、欧米に多数の若者たちを派遣したところ、アメリカ留学組の勉学が最も進み、プラグマティズム等を持ち帰ったとされる。幕末・維新期の日本において、陽明学研究はそれ以前に増して盛んに行われており、(日本語の意味での)「実践」への注目がかなり共通していたのかもしれない。同じ頃、中国ではそれほど盛んではなかったように聞くが、清末になると、陽明学は中国でも注目されていた。2018年7月23日に本e-論壇に「『アメリカと中国』に寄せて」と題して書いたように、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859-1952)が(民国時代)1919年から2年余り中国に滞在してプラグマティズム哲学・教育哲学等の連続講義を行った。「デューイは中国の人たちに王陽明の研究を薦めた」と聞いたので、手近な書籍に手を伸ばした次第である。王陽明はいまでは「中国の実用主義者」として知られているのであろうか。
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