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2018-10-28 09:37
国際二宮尊徳思想学会曲阜大会に参加して
池尾 愛子
早稲田大学教授
10月20-21日に、国際二宮尊徳思想学会第8回大会が中国山東省曲阜(Qufu)で開催された。日本からの参加者たちは青島に飛行機で入り、410キロの道のりをバスで曲阜に向かった。膠州湾大橋を心地よく渡り、特に何もなければ約6時間の旅程である。(豊かな)農業地帯をほぼまっすぐに伸びる道路を走り、立体交差のジャンクションで一度左折するだけだと思う。ただ、交通事故がよく起こっているので、巻き込まれないまでも迂回するとより長い時間がかかる。曲阜は孔子、孟子の生誕地である。文化大革命時代には孔子も迫害され、石碑などが壊されることがあった。それらが修復され、建造物や城壁・門が(明時代のものに)復元され、見事に世界遺産に登録されるまでになり、中国人観光客もたくさん訪れていた。孔子一族は(正妻以外の妻のおかげもあって)今も続いており、現在の子孫は台湾在住であるときいた。
第8回大会の共通テーマは「『永安社会』の構築をめざして―報徳思想と儒学振興―」であった。儒学が明示的に入ると中国人研究者たちにとっては研究報告しやすくなるようだ。荻生徂徠や王陽明も取り上げられ、学術水準が格段に向上したと感じられた。実践志向の王陽明については中国でも熱心に研究すべき対象であることが確認されたようだ。(王陽明や儒学者の)全部を受け容れる必要はなく、必要なことを拾い出して学ぶことにしてよいことも確認されたようである。もちろん、尊徳の実践的アプローチにちなんだ報告はいつもあり、実践的哲学の重要性が再確認できた。尊徳は実践を通じて理論を構築・改良してきたプラグマティストであった。発表時の議論の他、発表後の情報交換にも大変興味深いものがあった。
私は、19世紀末にシカゴ大学でJ.デューイ(1859-1952)の指導を受けた田中王堂(1867-1932)の二宮尊徳研究について報告した。経済学者の天野為之(1861-1938)は富田高慶著『報徳記』(1883)等を読み、尊徳の神道的要素に気づき、尊徳の勤労・分度・推譲に近代的な経済学につながる要素を見出していた。それに対して、哲学者の田中王堂は、経済学的解釈を批判しつつ、福住正兄著『二宮翁夜話』(1893)を読み、尊徳に、プラグマティズム(実践、実験を含み、中国語では今でも「実用主義」と訳される)、功利主義(幸福論を含む)、中庸、個人主義、重農主義等を見出した。(王堂は原典の「解釈」はもとより「改釈」でもよいとした。)尊徳に対する哲学的解釈は大会では違和感なく受けとめられたようであった。確かに以前から哲学者や哲学を二次専攻あたりとして取り組んだ研究者がいつも何人か参加している。中国に2年余り滞在したデューイの影響、北京大学の哲学者胡適(1891-1962)から脈々と伝えられる伝統が中国の学問を通底しているようにも感じられた。
農業実践に関するセッションでは、中国人農業経済学者でなければ行けないような農村についての報告もあった。真冬には凍てつき、夏には衛生上の問題があり、彼らでも冬間近にしか調査に行けない農村があることもわかった。報告後に会議参加者に聞くと、農業経済学者の日中交流はかなり進んでいて、農業がうまくいっている地域と、問題を抱えたままの農村があることがわかった。そして、まだ残っている農村問題の解決に向けては、農村に派遣されている党書記の役割が大きいと認識されていることも伝わってきた。また、一方で環境問題などを解決するためには、倫理を手段として用いるアプローチが有効であると主張する日本人の発表があり、他方で「道具的理性」の役割を強調する中国人の発表もあったので、日中の議論はかなりかみ合ってきたといえる。そして、尊徳学会もようやく岐路に差し掛かっていることが感じられた。中国人研究者たちは、問題解決を目指す実践的アプローチを通じて、もっと広範な研究交流をしてみたいと思っているようにも感じられたのである。
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