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2007-04-02 12:27
憲法の誕生日に思う
岩國 哲人
衆議院議員
この1年を振り返って、日本にとって一番大きな政治上の出来事といえば、安倍内閣の誕生というよりは、教育基本法の改正でしょう。外国に対しては総理大臣が変わったということがトップニュースかも知れませんが、実体を見れば変わったことは一つもないのです。対米追従も、企業・財界優遇も、年金・消費税先送り体質も、二世・三世型陣容も、まったく見事に何も変わっていないのです。
教育基本法案について、67%の国民がその法案は成立させるな、もっと審議を十分にしてという意見を表明しているにも拘わらず、やらせミーティングで「官製談合」世論をつくりあげ、審議は打ち切り。なぜそんなに急ぐのか、憲法改正実現の地ならしが狙いなのか、教育のどこが本当に変わるのか、などなど疑問を大きくしただけではありませんか。
憲法改正を基本政策とする政党なら、まず憲法という母屋(おもや)の設計や、玄関の向きなどと釣り合いが取れるようにしてから、基本法という離れを設計してゆくべきでしょう。基本法というのは憲法に従属し、憲法に最も近い距離にある、憲法に次ぐ最重要な法律とされ、いわば憲法が父なら教育基本法はその長男に相当します。ところが、それぞれの誕生日を調べると、昭和憲法は昭和22年5月3日に、そして現在使われている教育基本法はその前の3月31日に誕生しています。
これを家庭に例えてみれば、長男がお父さんの前に生まれていることになります。では、お父さんが生まれる前に生まれていたその長男は、いったい誰の子ということになるのでしょうか。日本には長幼の序を尊重する伝統があり、「法治」国家というのであれば、こういう疑問や法律の乱れをもはや「放置」すべきではありません。
占領軍という、当時は最高権力に相当する存在が、なぜ憲法改正の前に教育基本法を先行させたのでしょうか。これは私が国会図書館などの文献で調べた判断と推測に基づくのですが、天皇制を民主制に変えるという、どこの占領軍にとってもかつてない難しい大改革をやり遂げるためには、男女共学という分かりやすいテーマで身近に民主主義を実感させること、そのために新しい教育基本法がまず必要と考えたのでしょう。しかし、今それと同じ手法をとる必要は全くありません。占領軍はどこにもいません。主権を持っている国民とその代表である国会という立法府があれば、今回は順序正しくやればいいことではありませんか。
一昨年の総選挙後、国会に「日本国憲法に関する調査特別委員会」が新設され、私も委員の一人として何回か憲法に関する発言をしてきました。憲法改正を必要と考える人は既に六割を超えています昨年四月五日のNHKで放送されましたが、白洲次郎さんは占領軍と厳しい交渉の中で何度も苦渋を味わい、戦後の憲法制定に携わってこられました。その白洲さんの、「この新憲法が本当に心の底から私たちの憲法だという実感を国民が共有できたとき、初めて戦後は終わるんだ」というその言葉に私は感動しました。
国会が怠惰を繰り返し、時間をかけている間に、戦中、戦後、そしてその後の平和な日本、その3つの日本の顔を見てきた世代の人たちが毎日毎日2千人ずつ亡くなられています。戦争を経験した7千2百万人が、今は私を含めて3千4百万人しか残っていません。この人たちに、戦争への思い、平和への思い、そしてこういう憲法を残していきたいという、次の日本へのそれぞれの思いを発言する機会を与えていない国会は、私は恥ずかしいとさえ思っております。1日遅れれば2千人の方が、10日遅れたら2万人が、1年で70万を超える人が亡くなります。国会はこういう人たちの声を封じながら、一年一年を過ごしてきているのです。議論を重ねることもよいが、決断と行動が今必要ではないかと思います。
日本の憲法に賛成した人がどこにいますか、反対した人がどこにいますか。だれも賛成していない、だれも反対していない。日本の憲法は世界で一番寂しい憲法ではないでしょうか。憲法が泣いています。日本人が賛成も反対もしていないままに六十年が過ぎました。イラクの国民の投票を見てください。イラクの人たちは戦火の中で身の危険を冒しながら、賛成の一票を、反対の一票を投じているではありませんか。私は、イラクの国民をうらやましいと思います。自分たちの一票の思いを込めてできた憲法だからこそ、大切にしようという気持ちが湧いてきます。愛国心についての議論があります。愛国心を論ずるならば、まず自分の「国」の憲法を「愛」する「心」を育てるべきではないでしょうか。
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