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2017-01-10 15:50
社会的ダーウィニズムの誤り
倉西 雅子
政治学者
2016年は、イギリス国民のEU離脱選択に次いで、アメリカでもトランプ氏が当選いたしました。こうした現象が、マスメディアを中心に、“大衆迎合主義の台頭による政治の劣化”として声高に批判された一方で、“エリート”や既成政治に対する常識的国民の抵抗とする肯定的見解も生じ、その評価が大きく分かれた年ともなりました。一連の出来事のキーワードともなった反エリート主義とは、マスメディアでは、“エリート”に対する感情的な反発や不平等感がもたらすルサンチマンとして説明される傾向にあります。しかしながら、EU離脱やトランプ氏に投票した人々の理由を聞いてみますと、必ずしも、感情論では片づけられない一面があります。そして、それは、所謂‘エリート’とされる人々の問題点をも浮かび上がらせているように思えるのです。
19世紀において人類に対する認識を一変させたのは、チャールズ・ダーウィンが唱えた進化論です。この考え方に基づけば、下等生物からより複雑で高等な生物への進化は、最も環境に適したものが生き残ることで進んできたプロセスとして説明されます。適者生存こそ、進化の動因とされたのです。進化論は、人間が猿から進化したことを意味するため、当事の人々に衝撃を与えましたが、同時に、様々な分野において科学的理論として応用されるようにもなりました。その一つが、社会的ダーウィニズムと呼ばれる主張です。社会的ダーウィニズムとは、適者生存を社会における優勝劣敗に当て嵌め、少数の富裕層やエリートの支配的地位を擁護する役割をも果たしたのです。適者が社会において勝者になるのは、自然の法則に即していると…。
しかしながら、この考え方、進化論の一面を切り取った静態的な見方なのかもしれません。何故ならば、進化とは、本来、プロセスであって、進化の最先端に位置する適者は、既に優位な変異遺伝子を獲得してしまっているため、現状以上には進化しないからです。否、進化とは、現状に置いて劣位している、即ち、外部環境が自らにとって不利な側において発生します。いわば、苦境の克服プロセスとして進化が生じており、この点に注目すれば、社会的ダーウィニズムにおける勝者は、いずれは、より優れた適性や耐性を備えた“種”の出現に直面することとなるのです。生物学における理論をより社会学に持ち込むならば、その論理的な結論は、必ずしも現状の固定化ではないはずなのです。また、現実における種の進化は、少数による適性の独占ではなく、大多数における適性の獲得を意味しています。
自然科学の理論を社会科学に応用するには慎重であるべきですが(しかも、生物進化にはダーウィンの理論では説明できない現象もある…)、今日のエリートの主張には、19世紀の社会的ダーウィニズムと共通する一面性と自己正当化が見られます。不確実性が高まった今日、あるいは、人類は、少数による富や権力の独占を是認する“エリート”と称される人々が描く道とは、違った道を歩む可能性もないわけではないと思うのです。
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